んでに出て何か買って来て、それを一しょに鍋に叩き込んで食うのである。一人の男が僕の方を見て、金井はどうしようと云った。鰐口は僕を横目に見て、こう云った。
「芋を買う時とは違う。小僧なんぞは仲間に這入《はい》らなくても好い」
 僕は傍《わき》を向いて聞かない振をしていた。誰を仲間に入れるとか入れないとか云って、暫《しばら》く相談していたが、程なく皆出て行った。
 鰐口の性質は平生《へいぜい》知っている。彼は権威に屈服しない。人と苟《いやしく》も合うという事がない。そこまでは好い。しかし彼が何物をも神聖と認めない為めに、傍《はた》のものが苦痛を感ずることがある。その頃僕は彼の性質を刻薄だと思っていた。それには、彼が漢学の素養があって、いつも机の上に韓非子《かんぴし》を置いていたのも、与《あずか》って力があったのだろう。今思えば刻薄という評は黒星に中《あた》っていない。彼は cynic なのである。僕は後に Theodor Vischer の書いた Cynismus を読んでいる間、始終鰐口の事を思って読んでいた。Cynic という語は希臘の kyon 犬という語から出ている。犬学などという
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