て彼の飽くまで冷静なる眼光は、蛇の蛙《かわず》を覗《うかが》うように女を覗っていて、巧に乗ずべき機会に乗ずるのである。だから彼の醜を以てして、決して女に不自由をしない。その言うところを聞けば、女は金で自由になる物だ。女に好かれるには及ばないと云っている。
鰐口は女を馬鹿にしているばかりはでない。あらゆる物を馬鹿にしている。彼の目中には神聖なるものが絶待的に無い。折々僕のお父様が寄宿舎に尋ねて来られる。お父様が、倅《せがれ》は子供同様であるから頼むと挨拶をなさると、鰐口は只はあはあと云って取り合わない。そして黙ってお父様の僕に訓戒をして下さるのを聞いていて、跡で声《こわ》いろを遣《つか》う。
「精出して勉強しんされえ。鰐口君でもどなたでも、長者の云いんさることは、聴かにゃあ行けんぜや。若し腑《ふ》に落ちんことがあるなら、どういうわけでそう為《せ》にゃならんのか、分りませんちゅうて、教えて貰いんされえ。わしはこれで帰る。土曜には待っとるから、来《き》んされえ。あはははは」
それからはお父様の事を「来んされえ」と云う。今日あたりは又来んされえの来る頃だ。又|最中《もなか》にありつけるだろ
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