ら大分|益《やく》に立った。
 僕は寄宿舎ずまいになった。生徒は十六七位なのが極若いので、多くは二十代である。服装は殆《ほとん》ど皆小倉の袴《はかま》に紺足袋である。袖は肩の辺までたくし上げていないと、惰弱だといわれる。
 寄宿舎には貸本屋の出入が許してある。僕は貸本屋の常得意であった。馬琴《ばきん》を読む。京伝を読む。人が春水を借りて読んでいるので、又借をして読むこともある。自分が梅暦《うめごよみ》の丹治郎のようであって、お蝶のような娘に慕われたら、愉快だろうというような心持が、始てこの頃|萌《きざ》した。それと同時に、同じ小倉袴紺足袋の仲間にも、色の白い目鼻立の好い生徒があるので、自分の醜男子なることを知って、所詮《しょせん》女には好かれないだろうと思った。この頃から後は、この考が永遠に僕の意識の底に潜伏していて、僕に十分の得意ということを感ぜさせない。そこへ年齢の不足ということが加勢して、何事をするにも、友達に暴力で圧せられるので、僕は陽に屈服して陰に反抗するという態度になった。兵家 Clausewitz は受動的抗抵を弱国の応《まさ》に取るべき手段だと云っている。僕は先天的失恋
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