為めばかりではないらしい。彼は上役の前で淳樸《じゅんぼく》を装うために国詞を使うのではあるまいか。僕はその頃からもうこんな事を考えた。僕はぼんやりしているかと思うと、又余り無邪気でない処のある子であった。
 観音堂に登る。僕の物を知りたがる欲は、僕の目を、只真黒な格子の奥の、蝋燭《ろうそく》の光の覚束《おぼつか》ない辺に注がせる。蹲《しゃが》んで、体を鰕《えび》のように曲げて、何かぐずぐず云って祈っている爺さん婆あさん達の背後《うしろ》を、堂の東側へ折れて、おりおりかちゃかちゃという賽銭《さいせん》の音を聞き棄てて堂を降りる。
 この辺には乞食が沢山いた。その間に、五色の沙《すな》で書画をかいて見せる男がある。少し広い処に、大勢の見物が輪を作って取り巻いているのは、居合ぬきである。※[#「※」は「さんずいに日に工」、25−7]麻と一しょに暫く立って見ていた。刀が段々に掛けてある。下の段になるだけ長いのである。色々な事を饒舌《しゃべ》っているが、なかなか抜かない。そのうち※[#「※」は「さんずいに日に工」、25−9]麻が、つと退《の》くから、何か分からずに附いて退いた。振り返って見れば、
前へ 次へ
全130ページ中30ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング