、覗いて見た。まだ御城下にも辻便所などはないので、誰でも道ばたでしたのである。そして誰のも小さいので、画にうそがかいてあると判断して、天晴《あっぱれ》発見をしたような積でいたのである。
これが僕の可笑しな絵を見てから実世界の観察をした一つである。今一つの観察は、少し書きにくいが、真実の為めに強いて書く。僕は女の体の或る部分を目撃したことが無い。その頃御城下には湯屋なんぞはない。内で湯を使わせてもらっても、親類の家に泊って、余所《よそ》の人に湯を使わせてもらっても、自分だけが裸にせられて、使わせてくれる人は着物を着ている。女は往来で手水《ちょうず》もしない。これには甚だ窮した。
学校では、女の子は別な教場で教えることになっていて、一しょに遊ぶことも絶《たえ》て無い。若し物でも言うと、すぐに友達仲間で嘲弄《ちょうろう》する。そこで女の友達というものはなかった。親類には娘の子もあったが、節句だとか法事だとかいうので来ることがあっても、余所行の着物を着て、お化粧をして来て、大人しく何か食べて帰るばかりであった。心安いのはない。只内の裏に、藩の時に小人《こびと》と云ったものが住んでいて、その
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