自然が人間に繁殖を謀《はか》らせる詭謀《きぼう》である、餌《え》である。こんな餌を与えないでも、繁殖に差支《さしつかえ》のないのは、下等な生物である。醒めた意識を有せない生物であると云っている。僕には、この絵にあるような人間の振舞に、そんな餌が伴わせてあるということだけは、少しも分らなかったのである。僕の面白がって、繰り返して絵を見たのは、只まだ知らないものを知るのが面白かったに過ぎない。Neugierde に過ぎない。Wissbegierde に過ぎない。小原のおばさんに見せて貰っていた、島田|髷《まげ》の娘とは、全く別様な眼で見たのである。
 さて繰り返して見ているうちに、疑惑を生じた。それは或る体《からだ》の部分が馬鹿に大きくかいてあることである。もっと小さい時に、足でないものを足だと思ったのも、無理は無いのである。一体こういう画はどこの国にもあるが、或る体の部分をこんなに大きくかくということだけは、世界に類が無い。これは日本の浮世絵師の発明なのである。昔希臘の芸術家は、神の形を製作するのに、額を大きくして、顔の下の方を小さくした。額は霊魂の舎《やど》るところだから、それを引き立
前へ 次へ
全130ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング