ある。そしてその絵にかいてある男と女とが異様な姿勢をしている。僕は、もっと小さい時に、小原のおばさんの内で見た本と同じ種類の本だと思った。しかしもう大分それを見せられた時よりは智識《ちしき》が加わっているのだから、その時よりは熟《よ》く分った。Michelangelo の壁画の人物も、大胆な遠近法を使ってかいてあるとはいうが、こんな絵の人物には、それとは違って、随分無理な姿勢が取らせてあるのだから、小さい子供に、どこに手があるやら足があるやら弁《わきま》えにくかったのも無理は無い。今度は手も足も好く分った。そして兼て知りたく思った秘密はこれだと思った。
僕は面白く思って、幾枚かの絵を繰り返して見た。しかしここに注意して置かなければならない事がある。それはこういう人間の振舞が、人間の欲望に関係を有しているということは、その時少しも分らなかった。Schopenhauer はこういう事を言っている。人間は容易に醒《さ》めた意識を以て子を得ようと謀《はか》るものではない。自分の胤《たね》の繁殖に手を着けるものではない。そこで自然がこれに愉快を伴わせる。これを欲望にする。この愉快、この欲望は、
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