だなんぞという罪名もまだ無かった。僕はどんな芸術品でも、自己弁護でないものは無いように思う。それは人生が自己弁護であるからである。あらゆる生物の生活が自己弁護であるからである。木の葉に止まっている雨蛙は青くて、壁に止まっているのは土色をしている。草むらを出没する蜥蜴《とかげ》は背に緑の筋を持っている。沙漠の砂に住んでいるのは砂の色をしている。Mimicry は自己弁護である。文章の自己弁護であるのも、同じ道理である。僕は幸《さいわい》にそんな非難も受けなかった。僕は幸に僕の書いた物の存在権をも疑われずに済んだ。それは存在権の最も覚束ない、智的にも情的にも、人に何物をも与えない批評というものが、その頃はまだ発明せられていなかったからである。
 一週間程立って、或日の午後霽波が又遣って来た。社主が先日書いて貰ったお礼に馳走をしたいというのだから、今から一しょに来てくれろと云う。相客は原口安斎《はらぐちあんさい》という詩人だけで、霽波が社主に代って主人役をするというのである。
 僕は車を雇って、霽波の車に附いて行った。神田明神の側の料理屋に這入った。安斎は先へ来て待っていた。酒が出る。芸者が
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