らない。何でも余程変なものを書いたように記憶している。頭も尻尾《しっぽ》もないような物だった。その頃は新聞に雑録というものがあった。朝野《ちょうや》新聞は成島柳北《なるしまりゅうほく》先生の雑録で売れたものだ。真面目な考証に洒落《しゃれ》が交る。論の奇抜を心掛ける。句の警束を覗《ねら》う。どうかするとその警句が人口に膾炙《かいしゃ》したものだ。その頃僕は某教授に借りて、Eckstein の書いた feuilleton の歴史を読んでいたので、先ず雑録の体裁で、西洋の feuilleton の趣味を加えたものと思って書いて見たのだ。
 僕の書いたものは、多少の注意を引いた。二三の新聞に尻馬に乗ったような投書が出た。僕の書いたものは抒情的な処もあれば、小さい物語めいた処もあれば、考証らしい処もあった。今ならば人が小説だと云って評したのだろう。小説だと勝手に極めて、それから雑報にも劣っていると云ったのだろう。情熱という語はまだ無かったが、有ったら情熱が無いとも云ったのだろう。衒学《げんがく》なんという語もまだ流行《はや》らなかったが、流行っていたらこの場合に使われたのだろう。その外、自己弁護
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