利で吉原のものに貸す。その縁故で彼等が行くと、特に優待せられるそうだ。そこで手《て》ん手《で》に吉原へ行った話をする。聞いていても半分は分らない。又半分位分るようであるが、それがちっとも面白くない。中にはこんな事をいう男がある。
「こんだあ、あんたを連れて行って上げうかあ。綺麗な女郎《じょうろ》が可哀がってくれるぜえ」
そういう時にはみんなが笑う。
奥山の話は榛野《はんの》という男の事に連帯して出るのが常になっている。家従どもは大抵|菊石《あばた》であったり、獅子鼻《ししばな》であったり、反歯《そっぱ》であったり、満足な顔はしていない。それと違って榛野というのは、色の白い、背の高い男で、髪を長くして、油を附けて、項《うなじ》まで分けていた。この男は何という役であったか知らぬが、先ず家従どもの上席位の待遇を受けて、文書の立案というような事をしていた。家従どもはこんな事を言う。
「榛野さあのように大事にして貰われれば、こっちとらも奥山へ行くけえど、銭《ぜに》う払うて楊弓《ようきゅう》を引いても、ろくに話もしてくれんけえ、ほんつまらんいのう」
榛野はこの仲間の Adonis であった。そして僕は程なくこの男のために Aphrodite たり、また Persephone たる女子《おなご》どもを見ることを得たのである。
お庭の蝉の声の段々やかましゅうなる頃であった。お父様の留守にぼんやりしていると、※[#「※」は「さんずいに日に工」、23−14]麻《くりそ》という家従が外から声を掛けた。
「しずさあ。居りんさるかあ。今からお使に行くけえ、一しょに来んされえ。浅草の観音様に連れて行って上げう」
観音様へはお父様が一度連れて行って下すったことがある。僕は喜んで下駄を引っ掛けて出た。
吾妻橋を渡って、並木へ出て買物をした。それから引き返して、中店をぶらぶら歩いた。亀の形をしたおもちゃの糸で吊したのを、沢山持って、「器械の亀の子、選《よ》り取った選り取った」などと云っている男がある。亀の首や尾や四足がぶるぶると動いている。※[#「※」は「さんずいに日に工」、24−3]麻は絵草紙屋の前に立ち留まった。おれは西南戦争の錦絵を見ていると、※[#「※」は「さんずいに日に工」、24−4]麻は店前《みせさき》に出してある、帯封のしてある本を取り上げて、店番の年増にこう云うのである。
前へ
次へ
全65ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング