人にいろ/\説いて、とう/\百三十兩までに負けて貰ふことにして、買ひ取る約束をした。三十兩は借財をする積なのである。
 伊織が金を借りた人は相番の下島甚右衞門と云ふものである。平生親しくはせぬが工面の好いと云ふことを聞いてゐた。そこで此下島に三十兩借りて刀を手に入れ、拵へを直しに遣つた。
 そのうち刀が出來て來たので、伊織はひどく嬉しく思つて、恰も好し八月十五夜に親しい友達柳原小兵衞等二三人を招いて、刀の披露|旁《かた/″\》馳走をした。友達は皆刀を褒めた。酒|酣《たけなは》になつた頃、ふと下島が其席へ來合せた。めつたに來ぬ人なので、伊織は金の催促に來たのではないかと、先づ不快に思つた。しかし金を借りた義理があるので、杯をさして團欒《まとゐ》に入れた。
 暫く話をしてゐるうちに、下島の詞に何となく角があるのに、一同氣が附いた。下島は金の催促に來たのではないが、自分の用立てた金で買つた刀の披露をするのに自分を招かぬのを不平に思つて、わざと酒宴の最中に尋ねて來たのである。
 下島は二言三言伊織と言ひ合つてゐるうちに、とう/\かう云ふ事を言つた。「刀は御奉公のために大切な品だから、隨分借財を
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