つてゐたが、主家の其時の當主松平石見守|乘穩《のりやす》が大番頭になつたので、自分も同時に大番組に入つた。これで伊織、七五郎の兄弟は同じ勤をすることになつたのである。
此大番と云ふ役には、京都二條の城と大坂の城とに交代して詰めることがある。伊織が妻を娶つてから四年立つて、明和八年に松平石見守が二條在番の事になつた。そこで宮重七五郎が上京しなくてはならぬのに病氣であつた。當時は代人|差立《さしたて》と云ふことが出來たので、伊織が七五郎の代人として石見守に附いて上京することになつた。伊織は、丁度妊娠して臨月になつてゐるるんを江戸に殘して、明和八年四月に京都へ立つた。
伊織は京都で其年の夏を無事に勤めたが、秋風の立ち初める頃、或る日寺町通の刀劍商の店で、質流れだと云ふ好い古刀を見出した。兼て好い刀が一腰欲しいと心掛けてゐたので、それを買ひたく思つたが、代金百五十兩と云ふのが、伊織の身に取つては容易ならぬ大金であつた。
伊織は萬一の時の用心に、いつも百兩の金を胴卷に入れて體に附けてゐた。それを出すのは惜しくはない。しかし跡五十兩の才覺が出來ない。そこで百五十兩は高くはないと思ひながら、商
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