の妻の親戚に、戸田淡路守氏之の家來有竹某と云ふものがあつて、其有竹のよめの※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、248−下−24]《あね》を世話をしたのである。
なぜ妹が先によめに往つて、※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、248−下−25]が殘つてゐたかと云ふと、それは※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、248−下−26]が屋敷奉公をしてゐたからである。素二人の女は安房國|朝夷郡《あさいごほり》眞門村で由緒のある内木四郎右衞門と云ふものの娘で、※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、248−下−27]のるんは寶暦二年十四歳で、市ヶ谷門外の尾張中納言宗勝の奧の輕い召使になつた。それから寶暦十一年尾州家では代替があつて、宗睦《むねちか》の世になつたが、るんは續いて奉公してゐて、とう/\明和三年まで十四年間勤めた。其留守に妹は戸田の家來有竹の息子の妻になつて、外櫻田の邸へ來たのである。
尾州家から下がつたるんは二十九歳で、二十四歳になる妹の所へ手助《てだすけ》に入り
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