られた。「あれは菩提所の松泉寺《しようせんじ》へ往きなすつたのでございます。息子さんが生きてゐなさると、今年三十九になりなさるのだから、立派な男盛と云ふものでございますのに」と云つたと云ふのである。松泉寺と云ふのは、今の青山御所の向裏に當る、赤坂|黒鍬谷《くろくはだに》の寺である。これを聞いて近所のものは、二人が出歩くのは、最初の其日に限らず、過ぎ去つた昔の夢の迹を辿るのであらうと察した。
兎角するうちに夏が過ぎ秋が過ぎた。もう物珍らしげに爺いさん婆あさんの噂をするものもなくなつた。所が、もう年が押し詰まつて十二月二十八日となつて、きのふの大雪の跡の道を、江戸城へ往反《わうへん》する、歳暮拜賀の大小名諸役人織るが如き最中に、宮重の隱居所にゐる婆あさんが、今お城から下がつたばかりの、邸の主人松平左七郎に廣間へ呼び出されて、將軍徳川家齊の命を傳へられた。「永年遠國に罷在候《まかりありそろ》夫の爲、貞節を盡候趣聞召《つくしそろおもむききこしめ》され、厚き思召を以て褒美として銀十枚下し置かる」と云ふ口上であつた。
今年の暮には、西丸にゐた大納言家慶と有栖川職仁親王《ありすがはよりひとしんわ
前へ
次へ
全14ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング