路《まさごじ》の次第に低くなりて、波打際《なみうちぎわ》に長椅子|据《す》ゑたる見ゆ。蘆《あし》の一叢《ひとむら》舟に触れて、さわさわと声するをりから、岸辺に人の足音して、木の間を出づる姿あり。身の長《たけ》六尺に近く、黒き外套を着て、手にしぼめたる蝙蝠傘《こうもりがさ》を持ちたり。左手《ゆんで》に少し引きさがりて随《したが》ひたるは、鬚《ひげ》も髪も皆雪の如くなる翁《おきな》なりき。前なる人は俯《うつむ》きて歩み来《き》ぬれば、縁《ふち》広き帽に顔隠れて見えざりしが、今|木《こ》の間《ま》を出でて湖水の方に向ひ、しばし立ちとどまりて、片手に帽をぬぎ持ちて、打ち仰ぎたるを見れば、長き黒髪を、後《うしろ》ざまにかきて広き額《ぬか》を露《あら》はし、面《おもて》の色灰のごとく蒼《あお》きに、窪《くぼ》みたる目の光は人を射たり。舟にては巨勢が外套を背に着て、蹲《うずく》まりゐたるマリイ、これも岸なる人を見ゐたりしが、この時|俄《にわか》に驚きたる如く、「彼は王なり」と叫びて立ちあがりぬ。背なりし外套は落ちたり。帽はさきに脱ぎたるまま、酒店に置きて出でぬれば、乱れたるこがね色の髪は、白き夏衣《
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