て夕餉《ゆうげ》誂《あつら》ふるに、「七時ならでは整はず、まだ三十分待ち給はではかなはじ、」といふ。ここは夏の間のみ客ある処にて、給仕する人もその年々に雇ふなれば、マリイを識《し》れるもなかりき。
少女はつと立ちて、桟橋《さんばし》に繋《つな》ぎし舟を指さし、「舟|漕《こ》ぐことを知り玉ふか。」巨勢、「ドレスデンにありし時、公園のカロラ池にて舟漕ぎしことあり、善くすといふにあらねど、君|独《ひと》りわたさむほどの事、いかで做得《なしえ》ざらむ。」少女、「庭なる椅子《いす》は濡《ぬ》れたり。さればとて屋根の下は、あまりに暑し。しばし我を載せて漕ぎ玉へ。」
巨勢はぬぎたる夏外套《なつがいとう》を少女に被《き》せて小舟《おぶね》に乗らせ、われは櫂《かい》取りて漕出《こぎい》でぬ。雨は歇みたれど、天なほ曇りたるに、暮色は早く岸のあなたに来ぬ。さきの風に揺られたるなごりにや、※[#「※」は「木へん+世」、第3水準1−85−56、63−5]敲《かじたた》くほどの波はなほありけり。岸に沿ひてベルヒの方《かた》へ漕ぎ戻すほどに、レオニの村落果つるあたりに来ぬ。岸辺の木立《こだち》絶えたる処に、真砂
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