して、濃《こ》き処には雨白く、淡《あわ》き処には風黒し。御者は車を停めて、「しばしがほどなり。余りに濡《ぬ》れて客人《まろうど》も風や引き玉はむ。また旧《ふる》びたれどもこの車、いたく濡らさば、主人《あるじ》の嗔《いかり》に逢《あ》はむ。」といひて、手早く母衣|打掩《うちおお》ひ、また一鞭《ひとむち》あてて急ぎぬ。
 雨なほをやみなくふりて、神おどろおどろしく鳴りはじめぬ。路《みち》は林の間に入りて、この国の夏の日はまだ高かるべき頃なるに、木下道《このしたみち》ほの暗うなりぬ。夏の日に蒸《む》されたりし草木の、雨に湿《うるお》ひたるかをり車の中に吹入るを、渇《かつ》したる人の水飲むやうに、二人は吸ひたり。鳴神《なるかみ》のおとの絶間《たえま》には、おそろしき天気に怯《おく》れたりとも見えぬ「ナハチガル」鳥の、玲瓏《れいろう》たる声振りたててしばなけるは、淋しき路を独《ひとり》ゆく人の、ことさらに歌うたふ類《たぐい》にや。この時マリイは諸手《もろて》を巨勢が項に組合せて、身のおもりを持たせかけたりしが、木蔭を洩《も》る稲妻に照らされたる顔、見合せて笑《えみ》を含みつ。あはれ二人は我を忘れ
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