りて長く嘶《いば》ゆる駿馬《しゅんめ》の鬣《たてがみ》に似たりけり。「けふなり。けふなり。きのふありて何かせむ。あすも、あさても空《むな》しき名のみ、あだなる声のみ。」
この時、二点三点、粒太《つぶふと》き雨は車上の二人が衣《きぬ》を打ちしが、瞬《またた》くひまに繁くなりて、湖上よりの横しぶき、あららかにおとづれ来て、紅《べに》を潮《さ》したる少女が片頬《かたほお》に打ちつくるを、さし覗《のぞ》く巨勢が心は、唯そらにのみやなりゆくらむ。少女は伸びあがりて、「御者、酒手《さかて》は取らすべし。疾《と》く駆《か》れ。一策《ひとむち》加へよ、今一策。」と叫びて、右手《めて》に巨勢が頸《うなじ》を抱《いだ》き、己《おの》れは項《うなじ》をそらせて仰視《あおぎみ》たり。巨勢は絮《わた》の如き少女が肩に、我|頭《かしら》を持たせ、ただ夢のここちしてその姿を見たりしが、彼《かの》凱旋門《がいせんもん》上の女神バワリアまた胸に浮びぬ。
国王の棲《す》めりといふベルヒ城の下《もと》に来《こ》し頃は、雨いよいよ劇《はげ》しくなりて、湖水のかたを見わたせば、吹寄する風一陣々、濃淡の竪縞《たてじま》おり出
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