巌根《いわね》にをらせて、手に一張《ひとはり》の琴を把《と》らせ、嗚咽《おえつ》の声を出《いだ》させむとおもひ定めにき。下《した》なる流にはわれ一葉《いちよう》の舟を泛《うか》べて、かなたへむきてもろ手高く挙げ、面《おもて》にかぎりなき愛を見せたり。舟のめぐりには数知られぬ、『ニックセン』、『ニュムフェン』などの形|波間《なみま》より出でて揶揄《やゆ》す。けふこのミュンヘンの府《ふ》に来て、しばし美術学校の『アトリエ』借らむとするも、行李《こり》の中、唯この一画藁《いちがこう》、これをおん身ら師友の間に議《はか》りて、成しはてむと願ふのみ。」
 巨勢はわれ知らず話しいりて、かくいひ畢《おわ》りし時は、モンゴリア形《がた》の狭き目も光るばかりなりき。「いしくも語りけるかな、」と呼ぶもの二人三人《ふたりみたり》。エキステルは冷淡に笑ひて聞《きき》ゐたりしが、「汝たちもその図見にゆけ、一週がほどには巨勢君の『アトリエ』ととのふべきに」といひき。マリイは物語の半《なかば》より色をたがへて、目は巨勢が唇にのみ注ぎたりしが、手に持ちし杯《さかずき》さへ一たびは震ひたるやうなりき。巨勢は初《はじめ》
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