文学者である。
役所では人の手間取のような、精神のないような、附けたりのような為事をしていて、もう頭が禿《は》げ掛かっても、まだ一向幅が利かないのだが、文学者としては多少人に知られている。ろくな物も書いていないのに、人に知られている。啻《ただ》に知られているばかりではない。一旦《いったん》人に知られてから、役の方が地方勤めになったり何かして、死んだもののようにせられて、頭が禿げ掛かった後に東京へ戻されて、文学者として復活している。手数の掛かった履歴である。
木村が文芸欄を読んで不公平を感ずるのが、自利的であって、毀《そし》られれば腹を立て、褒められれば喜ぶのだと云ったら、それは冤罪《えんざい》だろう。我が事、人の事と言わず、くだらない物が讃《ほ》めてあったり、面白い物がけなしてあったりするのを見て、不公平を感ずるのである。勿論《もちろん》自分が引合に出されている時には、一層切実に感ずるには違ない。
ルウズウェルトは「不公平と見たら、戦え」と世界中を説法して歩いている。木村はなぜ戦わないだろうか。実は木村も前半生では盛んに戦ったのである。しかしその頃から役人をしているので、議論をす
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