れば著作が出来なかった。復活してからは、下手ながらに著作をしているので、議論なんぞは出来ないのである。
その日の文芸欄にはこんな事が書いてあった。
「文芸には情調というものがある。情調はsituation《シチュアシヨン》の上に成り立つ。しかしindefinissable[#「de」の「e」はアクサン(´)付き]《アンデフィニッサアブル》なものである。木村の関係している雑誌に出ている作品には、どれにも情調がない。木村自己のものにも情調がないようである。」
約《つづ》めて言えばこれだけである。そして反対に情調のある文芸というものが例で示してあったが、それが一々木村の感服しているものでなかった。中には木村が、立派な作者があんな物を書かなければ好《い》いにと思ったものなんぞが挙げてあった。
一体書いてある事が、木村には善くは分からない。シチュアシヨンの上に成り立つ情調なんぞと云う詞《ことば》を読んでも、何物をもはっきり考えることが出来ない。木村は随分哲学の本も、芸術を論じた本も読んでいるが、こんな詞を読んでは、何物をもはっきり考えることが出来ない。いかにも文芸には、アンデフィニッサアブ
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