ない事になるものだなどとも思う。しかし不平は感じない。そんならと云って、これが自分の運だと諦《あきら》めているというfataliste《ファタリスト》らしい思想を持っているのでもない。どうかすると、こんな事は罷《や》めたらどうだろうなどとも思う。それから罷めた先きを考えて見る。今の身の上で、ランプの下で著作をするように、朝から晩まで著作をすることになったとして見る。この男は著作をするときも、子供が好きな遊びをするような心持になっている。それは苦しい処がないという意味ではない。どんなsport《スポオト》をしたって、障礙《しょうがい》を凌《しの》ぐことはある。また芸術が笑談でないことを知らないのでもない。自分が手に持っている道具も、真の鉅匠《きょしょう》大家の手に渡れば、世界を動かす作品をも造り出すものだとは自覚している。自覚していながら、遊びの心持になっているのである。ガンベッタの兵が、あるとき突撃をし掛けて鋒《ほこ》が鈍った。ガンベッタが喇叭《らっぱ》を吹けと云った。そしたら進撃の譜《ふ》は吹かないで、reveil[#「re」の「e」はアクサン(´)付き]《レウエイユ》の譜を吹いた。
前へ 次へ
全25ページ中16ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング