えるのか、あいよ。」
 勇は最初答えようとしなかったが、うるさく言われて、
「はア、東京さなんど行かねえよ、こんどは遠いところさ行くんだ」と何かしら母に気がねするように、しかしわざと聞かせるかのようにも言うのであった。
 おせきはそのことを感じて、
「勇ら休暇かい。それとも何か用があってかえって来たのかい。」竃の前から訊ねかけた。
「うむ――」と勇は生返事した。
 勇を北満の開拓にやってもらえまいか、ということは村の青年学校の先生からの、前々からの懇望だったのである。勇にもその気がないことはなかったのだが、事情はそう単純には出来ていなかった。なるほど青少年義勇軍とかに入れば、別にこれという金は要らず、訓練から渡航、開拓……と順序を踏んで、やがては十町歩の土地持になれる。そのことは願ってもない仕合せであったが、当面、勇にいくらかでも――たとい月十五円にせよ、働いて入れてもらわなければ、家が立ち行かなかった。食う口を減らすと同時に十五円の入金――それが一先ず勇の叔父のつとめていた会社へ当人を出してやった一つの理由だったのだ。
 が、今では由次が勇と代ってもよかった。ばかりでなく勇自身が、工場づとめよりは、まだ満州の方がよくはなかろうかという夢をすてきれないでいた。
「お前、なにかい、やっぱり満州さ行って見る気があるのかい」とおせきは、せき込んで訊ねた。
「とにかくどうなっか、先生が一度相談したいから、休日にかえって来ないかと言って手紙くれたからよ、それで俺、まア、とにかく、帰って来て見たんだ。」
「そうか、先生が……でも、あれだで、一度行ったら、はア、なかなか来れねえんだから、よっく、お父とも相談して、それから、決めるんなら決めなくては駄目だで。」
 彼女は勇をそんな遠い寒い国にやるのがひどく気づかわれる様子だった。
 午後、勇は久しぶりに白い米の飯を食って、それから青年学校の先生を訪ねて行った。

     七

 植付が終って、今後は田の草取りだった。黒々と成育し分蘖《ぶんけつ》しはじめた一つの稲株を見ると、浩平はとにかく得意の鼻をうごめかさずにはいられなかった。インチキ肥料でも腐れ肥料でも、利き目さえあればなア……などとつい妻に向って浴せかけたくなる衝動を、彼はじっと抑えるのに骨を折った。
 おせきは肥料のことについては、もはや何も言わなかった。言ってみたところで
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