よくよ探し廻っているうちによその家では切り終えていたらしく、もう誰の姿も見えなかった。汗を流して働いていると花火のことも着物のことも気にならない。ぽかぽかと暖かい日光、大空に囀る雲雀、茶株で啼く頬白、ああ、春ももうあといくらもないのだ。菜の花の匂いを送ってくる野風に肌をなぶらせつつ、いつか彼女はぼんやりと考えこんでしまっていた。
 午後も畑へ出るつもりでいると、お梅とお民がけばけばしいレーヨンの春衣で、きゃっ、きゃっとはしゃぎながら訪ねて来た。
「行かない?」と彼女らは口々に叫んで庭先へ駈け込んだ。「このいい天気に、もさもさ麦さく切るばか[#「ばか」に傍点]はねえわよ。」
 お通は縁側に腰をもたせかけ、畑の土のついた地下足袋をぱたぱたと叩き合せて、
「そうよ、世界にたった一人しか、なア。」
「誰よ、そのばか[#「ばか」に傍点]は。」
「俺よ……十五円もすっぽろっちまって、何が花見だってわけだ。」
「あれ、まだ出て来ねえの。」
「出るもんか、出たくらいなら今日ら、鼻天狗で、すしでもカツ丼でもお前らの好きなもの奢ってやら。」
「くよくよすんない」とお梅さんが大振りの晴れやかなでこぼこ[#「
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