り、著《いちじる》しい長距《ちょうきょ》があって四方に突《つ》き出《い》で、下に向かって少しく弯曲《わんきょく》している。すなわちこれが錨《いかり》の手に当たる部である。
この長い距《きょ》の底には、蜜液《みつえき》が分泌《ぶんぴつ》せられていて、花は昆虫の来るのを待っている。この虫媒花《ちゅうばいか》であるイカリソウの花へは長い嘴《くちばし》を出す蝶《ちょう》が訪れ、蜜を吸いに来て頭を花中《かちゅう》へ差し込むときその頭へ花粉を着《つ》けて、これを他の花の花柱《かちゅう》の柱頭《ちゅうとう》へ伝えるのである。そして花柱のもとにある子房《しぼう》が、ついに果実となるのである。
花中《かちゅう》には四|雄蕊《ゆうずい》がある。その長い葯《やく》は、葯胞《やくほう》の片《へん》がもとから上の方に巻《ま》き上がって、黄色の花粉を出している特状がある。このような葯《やく》を、植物学上では片裂葯《へんれつやく》と称している。雌蕊《しずい》は一本で、緑色の子房《しぼう》とほとんど同長な花柱《かちゅう》が上に立っており、その頂《いただき》に花頭《かとう》があって花粉を受けている。
葉は、地下茎《ちかけい》から出《い》で立つ一本の長い茎《くき》の頂《いただき》から一方は花穂《かすい》となり、一方はこの葉となって出ていて長柄《ちょうへい》があり、それが三|柄《へい》に分かれ、さらにそれが三|小柄《しょうへい》に分かれて各|小柄《しょうへい》ごとに緑色の一|小葉片《しょうようへん》が着《つ》いている。葉片《ようへん》は心臓状卵形で尖《とが》り、葉縁《ようえん》に針状歯《しんじょうし》があり、花後《かご》にはその葉質《ようしつ》が剛《かた》くなる。かく小葉《しょうよう》が一|葉《よう》に九|片《へん》あるので、それで中国でこの草を三|枝《し》九|葉草《ようそう》というのだが、淫羊※[#「くさかんむり/霍」、第3水準1−91−37]《いんようかく》というのがその本名である。しかしこの淫羊※[#「くさかんむり/霍」、第3水準1−91−37]《いんようかく》の名は、この類の総称のようである。
右|漢名《かんめい》(中国名のこと)の淫羊※[#「くさかんむり/霍」、第3水準1−91−37]《いんようかく》に就《つ》き、中国の説では、羊がこの葉(※[#「くさかんむり/霍」、第3水準1−91−37]《かく》)を食えば、一日の間に百|遍《ぺん》も雌雄《しゆう》相通《あいつう》ずることができる効力を持っていると信ぜられている。昔からこんな伝説が右のとおり中国にあるので、日本でもこれが成分を研究してみた人があったが、なにもそんな不思議《ふしぎ》な効力はないとの結論で、たちまちその研究熱が覚《さ》めてしまって、今日《こんにち》ではだれもその淫羊※[#「くさかんむり/霍」、第3水準1−91−37]説《いんようかくせつ》を信ずる馬鹿者《ばかもの》はなくなった。
かのタデ科に属し、地下茎《ちかけい》に塊根《かいこん》のできる何首烏《かしゅう》すなわちツルドクダミも、一時はそれが性欲に利《き》くとて、やはり中国の説がもとで大騒ぎをしてみたが、結局はなんの効《こう》も見つからず、阿呆《あほ》らしいですんでしまった。
イカリソウはヘビノボラズ科に属し、右の名のほかになおクモキリソウ、カリガネソウ、カナビキソウなどの別名がある。
[#「イカリソウの図」のキャプション付きの図(fig46821_18.png)入る]
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果実
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果実
世間《せけん》ふつうには果実というといわゆるクダモノであって、リンゴ、カキ、ミカンなどの食用になる実を呼んでいるのであるが、しかし植物学上で果実と称するものは、花の後にできる実をすべて果実といい、通俗とは大いにその呼び方が異なっている。そしてそれはあえて食用になると、ならないとにかかわらず、すべてをそういっている。ゆえにシソ、エゴマの実のようなものでも果実であり、また右のリンゴ、カキなどのようなものでもむろん果実である。
花の中の子房《しぼう》が花後《かご》に成熟して実になったものは、果実そのものの本体で、すなわち正果実である。
ウメ、モモ、ケシ、ダイコン、エンドウ、ソラマメ、トウモロコシ、イネ、ムギ、ソバ、クリ、クヌギ、ならびにチャの実などがそれである。
また、果実には他の器官が子房《しぼう》と合体し、共同で一の果実をなしているものもある。すなわちリンゴ、ナシ、キュウリ、カボチャ、メロンなどがそれである。
また、他の器官が主部となって果実をなしているものもあって、そんな場合は、これを擬果《ぎか》とも偽果《ぎか》とも称《とな》える。すなわちオランダイチゴ、ヘビイチゴ、イチジク、ノイバラの実などがそれである。
果実の食用となる部分は、果実の種類によってかならずしも一様《いちよう》ではない。モモ、アンズなどは植物学上でいうところの中果皮《ちゅうかひ》の部を食用とし、リンゴ、ナシなどは実を合成せる花托部《かたくぶ》を食《しょく》しており、ミカンは果内《かない》の毛を食し、バナナは果皮《かひ》を食し、イチジクは変形せる花軸部《かじくぶ》を食用に供《きょう》している。
いろいろの果実、すなわち実を研究してみるとなかなかおもしろいもので、ふつう世人《せじん》が思っているよりほか、意外な事実を発見するものである。次に四つの果実について、おのおのその趣味ある特状を述べてみましょう。
リンゴ
リンゴの果実は、これを縦《たて》に割ったり横に切ったりして見れば、よくその内部の様子がわかるから、そうして検《けん》して見るがよい。
その中央部に五室に分かれた部分があって、その各室内には二個ずつの褐色《かっしょく》な種子《たね》が並《なら》んでいる。そしてその外側に区切りがあって、それが見られる。すなわちこの区切りを界《さかい》としてその内部が真の果実であって、この果実部はあえてだれも食わなく捨てるところである。そしてこの区切りと最外《さいがい》の外皮《がいひ》のところまでの間が人の食《しょく》する部分であるが、この部分は実は本当の果実(中心部をなせる)へ癒合《ゆごう》した付属物で、これは杯状《はいじょう》をなした花托《かたく》(すなわち花の梗《くき》の頂部《ちょうぶ》)であって、それが厚い肉部となっているのである。
これで見ると、このリンゴの実は本当の果実は食われなく、そしてただそのつきものの変形せる花托《かたく》、すなわち花梗《かこう》の末端《まったん》を食っていることになるが、しかしリンゴを食う人々は、植物学者かあるいは学校で教えられた学生かを除くのほかは、だれもその真相を知っているものはほとんどないであろう。
このリンゴは英語でいえばアップルである。今日《こんにち》の日本人はだれでもこれをリンゴといってすましているが、実をいうとこれはリンゴではなくて、すべからくそれをトウリンゴまたはオオリンゴ、あるいはセイヨウリンゴといわねばならぬものである。そして漢字で書けば苹果でありまた※[#「木/示」、第4水準2−14−51]である。
元来《がんらい》、本当のリンゴは林檎であって、これはその実の直径およそ三センチメートル余りもない小さいもので、あえて市場へは出てこなく、日本では昔その苗木《なえぎ》がわが邦《くに》へ渡って今日|信州《しんしゅう》〔長野県〕あるいは東北地方にわずかに見るばかりである。元来《がんらい》日本の原産ではなけれども、これを西洋リンゴのアップルと区別せんがために和《わ》リンゴといわれている。すなわち日本リンゴの意である。
アップルすなわち西洋リンゴは、明治の初年にはじめて西洋から伝わりて爾後《じご》しだいに日本に拡《ひろ》まり、今日《こんにち》では東北諸州ならびに信州からそれの良果が盛《さか》んに市場に出回《でまわ》り、果実店頭を飾《かざ》るようにまでなったのである。
アップルを学名でいえば Malus pumila var. domestica であって、前の和《わ》リンゴは Malus asiatica である。元来《がんらい》リンゴは林檎(和リンゴ)の音であるから本当のリンゴをいう場合は何もいうことはないが、今日《こんにち》のように西洋リンゴ(トウリンゴ)を単にリンゴと呼ぶのは、実は当《とう》を得たものではないことを知っていなければならない。
[#「リンゴの図」のキャプション付きの図(fig46821_19.png)入る]
ミカン
ミカンすなわち蜜柑は、食用果実として名高く且《か》つ最もふつうのものであるが、世人《せじん》はそのミカンの実のいずれの部分を味わっているのか知らぬ人が多いのであろう。そしてそのミカンは、その毛の中の汁《しる》を味わっている、と聞かされるとみな驚いてしまうだろうが、実際はそうであるからおもしろい。もし万一ミカンの実の中に毛が生《は》えなかったならば、ミカンは食《く》えぬ果実としてだれもそれを一顧《いっこ》もしなかったであろうが、幸《さいわ》いにも果中《かちゅう》に毛が生《は》えたばっかりに、ここに上等果実として食用果実界に君臨《くんりん》しているのである。こうなってみると毛の価《あたい》もなかなか馬鹿《ばか》にできぬもので、毛頭《もうとう》その事実に偽《いつわ》りはない。
ミカンの属は学問上ではシトルス(Citrus)と称し、属中には多数の種類を含んでいる。日本にあるダイダイ、クネンボ、ウンシュウミカン、ナツミカン、コウジ、ユズ、ベニミカン、ヤツシロミカン、レモン、マルブシュカン、トウミカン、コナツミカン、オレンジ、サンボウカン、ザボン、キシュウミカン(コミカン)、ポンカン(元来《がんらい》台湾産、九州に作っている所がある)などみなその果実の構造は同一で、いずれも甘汁《かんじゅう》もしくは酸汁《さんじゅう》を含んでいる毛がその食用源をなしているのである。これらミカン類の貴《とうと》さも、つまるところは前述のとおりその果内《かない》の毛に帰《き》するわけだ。
ミカン類の果実は、植物学上果実の分類からいえば漿果《しょうか》と称すべきであるが、なお精密にいえば漿果中《しょうかちゅう》の柑橘果《かんきつか》と呼ぶべきものである。
ミカン類の果実を剥《む》いて見ると、表面の皮がまず容易にとれる。その中には俗にいうミカンの嚢《ふくろ》が輪列《りんれつ》していて、これを離《はな》せば個々に分かれる。そしてその嚢《ふくろ》の中に汁《しる》を含んだ膨大《ぼうだい》せる毛と種子とがあって、その毛はその嚢《ふくろ》の外方の壁面《へきめん》から生じており、その種子は内方の底から生じている。つまり右の毛と種子とは反対側から出て、たがいに向き合っているのである。すなわち図上|左隅《ひだりすみ》にその毛の生じ具合《ぐあい》が示され、またそれとならんでその右隅には、成熟した毛が描かれている。子房《しぼう》がまだ若いときは(左側中央の図)、その各室内にまだ毛は生じていないが、花が終わって後|子房《しぼう》が日増しに大きくなるにつれ、漸次《ざんじ》にその外方の内壁《ないへき》から毛が生じ始める。そして後には図の下方にあるミカン半切《はんき》れ図が示すように、右の毛は嚢《ふくろ》の中いっぱいに充満《じゅうまん》する。
右のとおり、その半切れ図で表《あらわ》してあるように、果実の中は幾室《いくしつ》にも分かれていて、この果実は実《じつ》は数個の一室果実から合成せられていることを示している。すなわち一花中に数子房があって、それがたがいに分立《ぶんりつ》せずして癒着《ゆちゃく》し、ここに複成子房をなしているのである。ゆえにその嚢《ふくろ》は数個連合してはいるが、これを離せば容易に離れて個々の嚢《ふくろ》となるのである。ただその外側に当たる外皮《がいひ》が割れ目なしに密に連合し
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