ているので、それがミカンの皮をなしている。そして果実全体からいえば、その部が外果皮《がいかひ》と中果皮《ちゅうかひ》とに当たり、嚢《ふくろ》の部分が内果皮《ないかひ》と果実の本部とに当たるのである。
なお図に種子が描いてあるが、この種子はなんら食用とはならず捨て去られるものである。しかしおもしろいことには、一つの種皮の中に子葉《しよう》(貝割葉《かいわれば》)、幼芽《ようが》、幼根《ようこん》から成《な》る胚《はい》が二個もしくは数個あることで、そこでこれを地に播《ま》いておくと一つの種子から二本あるいは数本の仔苗《しびょう》が生《は》え出てくることで、これはあまり他に類のないことである。
ミカン類の葉はみな一片ずつになっていて、それが枝《えだ》に互生《ごせい》しているが、しかしミカン類の葉は祖先は三出葉とて三枚の小葉《しょうよう》から成《な》り、ちょうどカラタチ(キコク)の葉を見るようであったことが推想《すいそう》せられる。つまり前世界時代のミカン類の葉は、みな三出葉であったのである。その証拠《しょうこ》として今日《こんにち》あるミカンの苗《なえ》にははじめ三出葉が出《い》で、次《つ》いで一枚の常葉《じょうよう》(単葉)が出ていることがたまに見られ、またザボンの苗《なえ》の葉柄《ようへい》に幹《みき》から芽出《めだ》つ葉にもまた三出葉が見られることがあって、つまり遠い遠い前世界の時の葉を出しているのであることは、すこぶる興味ある事実を自然が提供しているのである。
それからいま一つミカン類にとっておもしろいことは、その枝上《しじょう》にある刺針《ししん》、すなわちトゲの件である。そしてこのトゲは、元来《がんらい》はこの樹《き》を食害する獣類(それは遠い昔の)などを防禦《ぼうぎょ》するために生じたものであろうが、こんな開けた世にはそんな害獣《がいじゅう》もいないので、したがってそのトゲもまったく無用の長物《ちょうぶつ》となっている。
しかし学問上からそのトゲは何であるのかを究明《きゅうめい》するのは、すこぶる興味ある問題の一つである。従来日本のある学者は、それは葉の変形したものだと言った。またある学者は、それは枝の変形したものにほかならないと唱《とな》えた。これらの学者のいう説にはなんら確《かく》たる根拠《こんきょ》はなく、ただ外から観《み》た想像説でしかない。そこで私の実検上からの観察では、これは葉腋《ようえき》にある芽を擁《よう》しているその鱗片《りんぺん》の最外《さいがい》のものが大いに増大し、大いに強力となってついにトゲにまで進展発育したものにほかならなく、それはそのトゲの位置がそれをよく暗示しているので、これは動かし難《がた》いものである、と私は自分で発見したこの自説を固守《こしゅ》している次第《しだい》だ。
よく世人《せじん》はタチバナ(橘の字を当てているが、実は橘はクネンボの漢名であってタチバナではない)ということをいうが、それはタチバナとはどのミカンを指《さ》したものかというと、いま確説をもっていうことはできぬが、たぶん今日《こんにち》いうキシュウミカン、一名コミカンのようなミカンをいったものではなかろうかと思われる。
かの昔、田道間守《たじまもり》が常世《とこよ》の国(今どこの国かわからぬが、多分中国の東南方面のいずれかの地であったことが想像せられる)から持って帰って来たというもので、それはむろん食用に供すべきミカンの一種であったわけだ。その当時はむろん日本ではまことに珍しいものであったに相違《そうい》ない。そしてそのタチバナの名は、その常世《とこよ》の国からはるばると携《たずさ》え帰朝《きちょう》した前記の田道間守《たじまもり》の名にちなんで、かくタチバナと名づけたとのことである。
珍しくも日本の九州、四国、ならびに本州の山地に野生《やせい》しているミカン類の一種に、通常タチバナといっているものがある。黄色の小さい実がなるのだが、果実が小さい上に汁《しる》が少なく種子が大きく、とても食用の果実にはならぬ劣等至極《れっとうしごく》なミカンである。これを栽植《さいしょく》したものが時折《ときおり》神社の庭などにあるのだが、そんな場合、多少実が大きく、小さいコウジの実ぐらいになっているものもあれど、食用果実としてはなんら一顧《いっこ》の価値だもないものである。
世人《せじん》はタチバナの名に憧《あこが》れて勝手にこれを歴史上のタチバナと結びつけ、貴《とうと》んでいることがあれど、これはまことに笑止千万《しょうしせんばん》な僻事《ひがごと》である。かの京都の紫宸殿《ししんでん》前の右近《うこん》の橘《たちばな》が畢竟《ひっきょう》この類にほかならない。そしてこんな下等な一小ミカンが前記歴史上のタチバナと同じものであるとする所説は、まったく噴飯《ふんぱん》ものである。要するに、歴史上のタチバナと日本野生品のタチバナとは、全然関係のないミカンであることを私は断言《だんげん》する。
前記《ぜんき》のとおりわが邦《くに》野生のいわゆるタチバナに、かくタチバナの名を保《も》たしておくのは元来《がんらい》間違いであるのみならず、前からすでにある歴史上のタチバナの本物と重複するから、これをヤマトタチバナと改称すると提議したのは、土佐《とさ》〔高知県〕出身で当時|柑橘界《かんきつかい》の第一人者であった田村|利親《としちか》氏であったが、その後、私はさらにそれを日本《にっぽん》タチバナの名に改訂《かいてい》した。
なぜそうしたかというと、ザボンの一品に疾《と》くヤマトタチバナの名称があったからであった。ちなみに右田村氏は、かつて日向《ひゅうが》の国〔宮崎県〕において一の新蜜柑《しんみかん》を発見し、これを小夏蜜柑《こなつみかん》と名づけて世に出した。すなわち小形の夏蜜柑《なつみかん》の意で、そのとおり夏蜜柑《なつみかん》よりは小形である。そしてその味は夏蜜柑ほど酸《す》っぱくなくて甘味《あまみ》を有している。これは四、五月ごろに市場に現《あらわ》れ、サマー・オレンジと称している。この品は田村氏がはじめて見いだしたので、一に田村|蜜柑《みかん》とも呼んでいる。
[#「ミカンの図」のキャプション付きの図(fig46821_20.png)入る]
バナナ
元来《がんらい》バナナ(Banana)はその実のできるミバショウ(学名は Musa paradisiaca L[#「L」は斜体]. subsp. sapientum O[#「O」は斜体]. Kuntze[#「Kuntze」は斜体])の名であるが、日本民間でふつうにバナナというと、その実(果実)を指《さ》して呼んでいる。しかし西洋でも同様にその実をバナナといっていることもないではないが、これを正しくいうならバナナの実と呼ぶべきである。
さて、果実としてのバナナは元来《がんらい》そのいずれの部分を食《しょく》しているかというと、実はその果実の皮を食しているので、これはけっして嘘《うそ》の皮ではなく本当の皮である。もしもバナナにこの多肉質《たにくしつ》をなした皮がなかったならば、バナナは果実としてなんの役にも立たないものである。幸《さいわ》いにも多肉質の皮が存しているために、これが賞味《しょうみ》すべき好果実として登場しているのであるが、しかしこの委曲《いきょく》を知悉《ちしつ》していた人は世間《せけん》に少ないと思う。ゆえにバナナは皮を食うといったら、みな怪訝《けげん》な顔をするのであろう。
バナナのミバショウ植物は、見たところ内地にあるバショウそっくりの形状をしている。それもそのはず、その両方が同属(Musa すなわちバショウ属)であるからだ。葉を検《けん》して見ると、バナナの方が葉質《ようしつ》がじょうぶで葉裏が白粉《はくふん》を帯《お》びたように白色《はくしょく》を呈《てい》しており、そして花穂《かすい》の苞《ほう》が暗赤色《あんせきしょく》であるから、わがバショウの葉の裏面《りめん》が緑色で、花穂《かすい》の苞《ほう》が多少|褐色《かっしょく》を帯《お》びる黄色なのとすぐ区別がつく。
バナナを食うときはだれでもまずその外皮《がいひ》を剥《は》ぎ取り、その内部の肉、それはクリーム色をした香《にお》いのよい肉、を食《しょく》する。そしてこの皮と肉とは、これは共《とも》にバナナの皮であるが、皮のように剥《は》げる皮は実はその外果皮《がいかひ》で、これは繊維質《せんいしつ》であるから、それが細胞質の肉部すなわち中果皮《ちゅうかひ》内果皮《ないかひ》から容易に剥《は》ぎ取れるわけだ。この繊維質部は食用にならぬが、食用になるのはその次にある細胞質の部のみで、これが前記のとおり中果皮《ちゅうかひ》と内果皮《ないかひ》とである。
元来《がんらい》このバナナが正しい形状を保っていたなら、こんな食《く》える肉はできずに繊維質の硬《かた》い果皮《かひ》のみと種子とが発達するわけだけれど、それがおそろしく変形して厚い多肉部が生じ種子はまったく不熟《ふじゅく》に帰《き》して、ただ果実の中央に軟《やわ》らかい黒ずんだ痕跡《こんせき》を存しているのみですんでいる。すなわちこれは果実の常態《じょうたい》ではなくまったく一の変態で、つまり一の不具である。すなわちこれが不具であってくれたばっかりに、吾人《ごじん》はこの珍果《ちんか》を口にする幸運に遭《あ》っているのである。要するに、われらはバナナの中果皮、内果皮なる皮を食《く》って喜んでいるわけだ。
わが邦《くに》にあるバショウにも花が咲いて果実を結ぶけれど、食うようなものはけっしてできない。このバショウの名は芭蕉《ばしょう》から来たものだけれど、元来《がんらい》芭蕉はバナナ類の名だから、右のように日本のバショウの名として用いることは反則である。昔の日本の学者は芭蕉《ばしょう》の本物を知らなかったので、そこでこの芭蕉《ばしょう》の字を濫用《らんよう》し、それが元《もと》でバショウの名がつけられ今日《こんにち》に及《およ》んでいるのである。いまさら改《あらた》めようもないから、まずそのままにしておくよりほか仕方《しかた》がない。そしてこのバショウは、元来《がんらい》日本のものではなく昔中国から渡って来た外来《がいらい》植物なのである。
中国名の芭蕉《ばしょう》は一に甘蕉《かんしょう》ともいい、実はバナナ、すなわちその果実の味の甘《あま》いバナナ類を総称した名である。ゆえにバナナを芭蕉《ばしょう》といい、甘蕉《かんしょう》といってもよいわけだ。
数年前には台湾《たいわん》より多量のバナナが日本の内地に輸入せられ、大きな籠《かご》に入れたまま、それが神戸港《こうべこう》などに陸上《りくあ》げせられた時はまだ緑色であった。それを仲買人《なかがいにん》が買って地下室に入れ、数日も置くとはじめて黄色に熟《じゅく》するので、それからそれが市場の売店へ氾濫《はんらん》し一般の人々を喜ばせたものだったが、一朝《いっちょう》バナナの宝庫の台湾が失われた後は、前日のバナナ盛況《せいきょう》を見ることはできなくなってしまった。
[#「バナナの図」のキャプション付きの図(fig46821_21.png)入る]
オランダイチゴ
オランダイチゴは今日《こんにち》市場では、単にイチゴと呼んで通じている。けれども単にイチゴでは物足《ものた》りなく、且《か》つ他のイチゴ(市場には出ぬけれど)とその名が混雑する。人によっては草苺《くさいちご》と呼んでいれど、これも別にクサイチゴがあるから名が重複して困る。オランダイチゴの名は回《まわ》りくどくて言いにくいし、他の名は混雑、重複するし困ったものだ。あるいは西洋イチゴといってもよかろうが、いっそ英語のストローベリ(Strawberry)で呼ぶかな、それがご時勢《じせい》向きかもしれない。
このオランダイチゴをむずかしく学名で呼ぶとすれば、それは Fragaria chilo
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