。そしてハナショウブを花菖蒲と書くのは、実は不正な書きかたで、ショウブは菖蒲から書いた名ではあれど、ショウブはけっして菖蒲ではない。
ハナショウブの花は、その構造はアヤメやカキツバタと少しも変わりはない。ただ花の器官に大小|広狭《こうきょう》、ならびに色彩《しきさい》の違いがあるばかりだ。すなわち最外《さいがい》の大きな三|片《ぺん》が萼片《がくへん》で、次にある狭《せま》き三片が花弁《かべん》である。三つの雄蕊《ゆうずい》は幅広き花柱枝《かちゅうし》の下に隠れて、その葯《やく》は黄色を呈《てい》しており、中央の一|花柱《かちゅう》は大きな三|枝《し》に岐《わ》かれて開き、その末端《まったん》に柱頭《ちゅうとう》があり、虫媒花《ちゅうばいか》であるこの花に来る蝶々《ちょうちょう》が、この柱頭へ花粉を着《つ》けてくれる。花下《かか》に緑色の一|子房《しぼう》があって、直立し花を戴《いただ》いている。子房には小柄《しょうへい》があり、その下に大きな二枚の鞘苞《しょうほう》があって花を擁《よう》している。
ハナショウブは、ふつうに水ある泥地《でいち》に作ってあるが、しかし水なき畑に栽《う》えても、能《よ》くできて花が咲く。宿根性草本《しゅっこんせいそうほん》で、地下茎《ちかけい》は横臥《おうが》している。茎《くき》は直立し少数の茎葉《けいよう》を互生《ごせい》し、初夏《しょか》の候《こう》、頂《いただき》に派手《はで》やかな大花《たいか》が咲く。葉は直立せる剣状《けんじょう》で白緑色《はくりょくしょく》を呈《てい》し、基部《きぶ》は葉鞘《ようしょう》をもって左右に相抱《あいいだ》き、葉面《ようめん》の中央には隆起《りゅうき》せる葉脈《ようみゃく》が現《あらわ》れている。花が了《お》わると果実ができ、熟《じゅく》してそれが開裂《かいれつ》すると、中の褐色《かっしょく》種子が出る。
ハナショウブとは花の咲くショウブの意で、そしてその葉の大きさは、ちょうどショウブと同じくらいである。ところが元来《がんらい》、菖蒲と言う中国名、すなわち漢名《かんめい》は、実はしょせんショウブそのものではなく、ショウブは白菖と書かねば正しくない。そして菖蒲と書けば、本当はセキショウのことになる。このセキショウはショウブ属(Acorus)のものではあれど、ずっと小形な草で溪間《けいかん》に生じている常緑《じょうりょく》の宿根草《しゅっこんそう》であって、冬に葉のないショウブとはだいぶ異なっている。
この水に生《は》えていて端午《たんご》の節句《せっく》に用うるショウブは、昔はこれをアヤメといった。そして根が長いので、これを採《と》るのを「アヤメ引く」といった。すなわち古歌《こか》にアヤメグサとあるのは、みなこのショウブであって、今日《こんにち》いう Iris のアヤメではない。右ショウブをアヤメといっていた昔の時代には、この Iris のアヤメはハナアヤメであった。右 Acorus 属であるアヤメの名が消えて、今名《こんめい》のショウブとなると同時に、ハナアヤメの名も消えてアヤメとなった。
ハナショウブの母種《ぼしゅ》、すなわち原種のノハナショウブは、関西地方ではドンドバナと称するらしいが、今その意味が私には判《わか》らない。人によっては、道祖神《どうそじん》の祭りをトンド祭というとのことであるから、あるいはその時分にノハナショウブが咲くからというので、それでノハナショウブをドンドバナというのかもしれない。ドンドとトンドと多少違いはあるから、あるいはドンドバナはトンドバナというのが本当かも知れない。野州《やしゅう》〔栃木県〕日光の赤沼《あかぬま》の原では、そこに多いノハナショウブをアカヌマアヤメといっている。
このノハナショウブは、どこに咲いていても紅紫色《こうししょく》一色で、私はまだ他の色のものに出逢《であ》ったことがない。そして花はなかなか風情《ふぜい》がある。
[#「ハナショウブの図」のキャプション付きの図(fig46821_13.png)入る]
ヒガンバナ
秋の彼岸《ひがん》ごろに花咲くゆえヒガンバナと呼ばれるが、一般的にはマンジュシャゲの名で通っている。そしてこの名は梵語《ぼんご》の曼珠沙《まんじゅしゃ》から来たものだといわれる。その訳《わけ》は、曼珠沙《まんじゅしゃ》は朱華《しゅか》の意だとのことである。しかしインドにはこの草は生じていないから、これはその花が赤いから日本の人がこの曼珠沙《まんじゅしゃ》をこの草の名にしたもので、これに華を加えれば曼珠沙華《まんじゅしゃげ》、すなわちマンジュシャゲとなる。そして中国名は石蒜《せきさん》であって、その葉がニンニクの葉のようであり、同国では石地《せきち》に生じているので、それで右のように石蒜《せきさん》といわれている。
本種はわが邦《くに》いたるところに群生《ぐんせい》していて、真赤な花がたくさんに咲くのでことのほか著《いちじる》しく、だれでもよく知っている。毒草《どくそう》であるからだれもこれを愛植《あいしょく》している人はなく、いつまでも野の草であるばかりでなく、あのような美花《びか》を開くにもかかわらず、いつも人に忌《い》み嫌《きら》われる傾向を持っている。
とにかく、眼につく草であるゆえに、諸国で何十もの方言《ほうげん》がある。その中にはシビトバナ、ジゴクバナ、キツネバナ、キツネノタイマツ、キツネノシリヌグイ、ステゴグサ、シタマガリ、シタコジケ、テクサリバナ、ユウレイバナ、ハヌケグサ、ヤクビョウバナなどのいやな名もあるが、またハミズハナミズ、ノダイマツ、カエンソウなどの雅《みや》びな名もある。そしてその学名を Lycoris radiata Herb[#「Herb」は斜体]. といい、ヒガンバナ科に属する。右種名の radiata は放射状《ほうしゃじょう》の意で、それはその花が花茎《かけい》の頂《いただき》に放射状、すなわち車輪状をなして咲いているからである。
野外で、また山面で、また墓場で、また土堤《どて》などで、花が一時に咲き揃《そろ》い、たくさんに群集して咲いている場合はまるで火事場のようである。そしてその咲く時は葉がなく、ただ花茎《かけい》が高く直立していて、その末端《まったん》に四、五|花《か》が車座《くるまざ》のようになって咲き、反巻《はんかん》せる花蓋片《かがいへん》は六数、雄蕊《ゆうずい》も六数、雌蕊《しずい》の花柱《かちゅう》が一本、花下《かか》にある。下位子房《かいしぼう》は緑色で各|小梗《しょうこう》を具《そな》えている。
ここに不思議《ふしぎ》なことには、かくも盛《さか》んに花が咲き誇《ほこ》るにかかわらず、いっこうに実を結ばないことである。何百何千の花の中には、たまに一つくらい結実してもよさそうなものだが、それが絶対にできなく、その花はただ無駄《むだ》に咲いているにすぎない。しかし実ができなくても、その繁殖《はんしょく》にはあえて差しつかえがないのは、しあわせな草である。それは地中にある球根(学術上では鱗茎《りんけい》と呼ばれる)が、漸々《ぜんぜん》に分裂して多くの仔苗《しびょう》を作るからである。ゆえに、この草はいつも群集して生《は》えている。それはもと一球根から二球根、三球根、しだいに多球根と分かれゆきて集っている結果である。
花が済《す》むとまもなく数条の長い緑葉《りょくよう》が出《い》で、それが冬を越《こ》し翌年の三月ごろに枯死《こし》する。そしてその秋、また地中の鱗茎《りんけい》から花茎《かけい》が出て花が咲き、毎年毎年これを繰り返している。かく花の時は葉がなく、葉の時は花がないので、それでハミズハナミズ(葉見ず花見ず)の名がある。鱗茎《りんけい》は球形《きゅうけい》で黒皮《こくひ》これを包み、中は白色で層々《そうそう》と相重《あいかさ》なっている。そしてこの層をなしている部分は、実に葉のもとが鞘《さや》を作っていて、その部には澱粉《でんぷん》を貯《たくわ》え自体の養分となしていること、ちょうど水仙《すいせん》の球根、ラッキョウの球根などと同様である。そしてそこは広い筒《つつ》をなして、たがいに重なっているのである。
近来《きんらい》は澱粉《でんぷん》製造の会社が設立せられ、この球根を集め砕《くだ》きそれを製しているが、白色無毒な良好澱粉が製出せられ、食用に供《きょう》せられる。元来《がんらい》、この球根にはリコリンという毒分を含んでいるが、しかしその球根を搗《つ》き砕《くだ》き、水に晒《さら》して毒分を流し去れば、食用にすることができるから、この方面からいえば、有用植物の一に数《かぞ》うることができるわけだ。
この草の生の花茎《かけい》を口で噛《か》んでみると、実にいやな味のするもので、ただちにそれが毒草《どくそう》であることが知れる。女の子供などは往々《おうおう》その茎《くき》を交互《こうご》に短く折《お》り、皮で連《つら》なったまま珠数《じゅず》のようになし、もてあそんでいることがある。
『万葉集』にイチシという植物がある。私はこれをマンジュシャゲだと確信しているが、これは今までだれも説破《せつは》したことのない私の新説である。そしてその歌というのは、
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路《みち》の辺《べ》の壱師《いちし》の花の灼然《いちしろ》く、人皆知りぬ我が恋妻を
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である。右の歌の灼然《いちしろ》の語は、このマンジュシャゲの燃ゆるがごとき赤い花に対し、実によい形容である。しかしこのイチシという方言は、今日《こんにち》あえて見つからぬところから推《お》してみると、これはほんの狭《せま》い一地方に行われた名で、今ははやく廃《すた》れたものであろう。
このマンジュシャゲ、すなわちヒガンバナ、すなわち石蒜《せきさん》は日本と中国との原産で、その他の国にはない。外国人はたいへんに球根植物を好くので、ずっと以前にこのマンジュシャゲの球根が、多数に海外へ輸出せられたことがあった。
[#「ヒガンバナの図」のキャプション付きの図(fig46821_14.png)入る]
オキナグサ
春に山地に行くと、往々《おうおう》オキナグサという、ちょっと注意を惹《ひ》く草に出逢《であ》う。全体に白毛《はくもう》を被《かぶ》っていて白く見え、他の草とはその外観が異っているので、おもしろく且《か》つ珍しく感ずる。葉は分裂《ぶんれつ》しており、株《かぶ》から花茎《かけい》が立ち十数センチメートルの高さで花を着《つ》けている。花は点頭《てんとう》して横向きになっており、日光が当たると能《よ》く開く。花の外面に多くの白毛が生じており、六|片《ぺん》の花片《かへん》(実は萼片《がくへん》であって花弁はなく、萼片が花弁状をなしている)の内面は色が暗紫赤色《あんしせきしょく》を呈《てい》している。花内《かない》に多雄蕊《たゆうずい》と多雌蕊《たしずい》とがある。わが邦《くに》の学者はこの草を漢名の白頭翁《はくとうおう》だとしていたが、それはもとより誤りであった。この白頭翁《はくとうおう》はオキナグサに酷似《こくじ》した別の草で、それは中国、朝鮮に産し、まったくわが日本には見ない。ゆえに右日本のオキナグサを白頭翁《はくとうおう》に充《あ》てるのは悪い。
さてこの草をなぜオキナグサ、すなわち翁草というかというと、それはその花が済《す》んで実になると、それが茎頂《けいちょう》に集合し白く蓬々《ほうほう》としていて、あたかも翁《おきな》の白頭《はくとう》に似ているから、それでオキナグサとそう呼ぶのである。この蓬々《ほうほう》となっているのは、その実の頂《いただき》にある長い花柱《かちゅう》に白毛《はくもう》が生じているからである。
この草には右のオキナグサのほかになおたくさんな各地の方言があって、シャグマグサ、オチゴバナ、ネコグサ、ダンジョウドノ、ハグマ、キツネコンコン、ジイガヒゲ、ゼガイソウもそ
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