ゅうとう》へ、知らず知らず着《つ》けるのである。すなわち蝶と花とが、利益の交換《こうかん》をやっているわけだ。こうしてユリは子房《しぼう》の中の卵子《らんし》が孕《はら》み、のち種子となって、子孫を継《つ》ぐ基《もとい》をなすのである。
 たくさんあるユリの種類の中で、最もふつうで人に知られているものが、オニユリである。これは中国にも産し、巻丹《けんたん》の名がある。それは花蓋片《かがいへん》が反巻《はんかん》し、且《か》つ丹《あか》いからである。このオニユリの球根、すなわち鱗茎《りんけい》は白色で食用になるのであるが、少しく苦味《にがみ》がある。このユリの特徴《とくちょう》は葉腋《ようえき》に珠芽《しゅが》が生ずることである。これが地に落ちれば、そこに仔苗《しびょう》が生ずるから繁殖《はんしょく》さすには都合《つごう》がよい。
 またこのオニユリは往々《おうおう》圃《はたけ》に作ってあるが、なお諸処に野生《やせい》もある。おもしろいことには東京地方へ旅行すると、農家の大きな藁葺《わらぶき》屋根の高い棟《むね》にオニユリが幾株《いくかぶ》も生《は》えて花を咲かせている風情《ふぜい》である。オニユリの花は通常|一重《ひとえ》であるが、時に八重咲《やえざ》きのものが見られ、これを八重天蓋《やえてんがい》と称するが、テンガイユリはオニユリの一名である。
 ヤマユリはりっぱなユリであって、関東諸国に野生《やせい》し、また人家にも作られている。大きな花が咲き、その満開《まんかい》の時はよく香《にお》う。その花蓋片《かがいへん》は元来《がんらい》は白色だが、片面に褐赤色《かっせきしょく》の斑点《はんてん》がある。花蓋片《かがいへん》の中央|紅色《べにいろ》の深いものはベニスジユリと唱《とな》え珍重《ちんちょう》せられるが、これは園芸的の品である。ハクオウというのは、花蓋片《かがいへん》が白くて斑点《はんてん》なく中央に黄筋《きすじ》の通っているもので、これも園芸品である。
 ヤマユリの球根は、食用として上乗《じょうじょう》なものである。ゆえに古《いにしえ》より、料理ユリの名がある。またその産地に基《もと》づいてヨシノユリ、ホウライジユリ、エイザンユリ、ウキシマユリの名がある。元来《がんらい》、ヤマユリの名は、ササユリの一名であるところのヤマユリの名と重複するので、今のヤマユリは、これをヨシノユリか、あるいはリョウリユリと呼んだならきわめてよいと思われる。ヤマユリの名は、なんとなく土臭《つちくさ》い感じがして、いっこうに上品に聞こえない。
 このヤマユリは日本の特産で、中国にはないから、したがって中国名はない。日本の学者は『汝南圃史《じょなんほし》』という中国の書物にある天香百合をヤマユリだとしていれど、それはむろん誤りである。
 ヤマユリは、輸出向きには一等重要なユリである。従来非常にたくさんなこのユリ根が外国に輸出せられたが、これからも漸次《ざんじ》にその盛況《せいきょう》を見るに至るであろう。
 ササユリは、関西諸州の山地には多く野生《やせい》しているが、関東地方には絶《た》えてない。しかし関西の地でも、あまり人家には作っていない。茎《くき》は九〇〜一二〇センチメートルに成長して立ち、なんとなく上品な色を呈《てい》し、花も淡紅色《たんこうしょく》で、すこぶる優雅《ゆうが》である。前記のとおり、このユリにもヤマユリの名があり、またサユリという名もある。サユリはサツキユリの略されたもので、それは早月《さつき》(旧暦の五月、今日《こんにち》では六月に当たる)のころに花が咲くからそういうのである。
 カノコユリは、きわめて華美《かび》な花が咲く。花色|紅赤色《こうせきしょく》で、濃紅色《のうこうしょく》の点がある。日本のユリ中、最も優《すぐ》れた花色を呈《てい》している。このユリは四国、九州には野生があって、いつも断崖《だんがい》の所に生じている。ゆえにその茎《くき》は向こうに突き出《い》で、あたかも釣竿《つりざお》を差し出したようになっており、その先に花が下向いて咲いている。ゆえに土佐《とさ》〔高知県〕では、これをタキユリというのだが、同国では断崖《だんがい》をタキと称するからである。変種に白花の品と淡紅色《たんこうしょく》の品とがあって、その淡紅色のものをアケボノユリ(新称)といい、白花のものをシラタマユリと呼んでいる。これは共《とも》に園芸品である。
 テッポウユリは沖繩方面の原産で、筒《つつ》の形をした純白の花が横向きに咲き、香気《こうき》が高い。このユリを筑前《ちくぜん》〔福岡県北東部〕では、タカサゴと呼ぶことが書物に出ている。そしてこのテッポウユリは、輸出ユリとして著名《ちょめい》なもので、その球根が大量に外国に出て行く。
 サクユリは、伊豆七島《いずしちとう》における八丈島《はちじょうじま》の南にある小島青ヶ島の原産で、日本のユリ中、最も巨大なものである。花は純白で香気《こうき》強く、実にみごとなユリで、この属中の王様である。球根もきわめて大きく、鱗片《りんぺん》も大形で肉厚く黄色を呈《てい》し、食用ユリとしても上位を占《し》むるものといってよろしい。
 スカシユリは、ふつうに栽培《さいばい》して花を咲かせていて、その花色には赤、黄、樺《かば》〔赤みを帯《お》びた黄色〕などがある。花は上向きに咲き、花蓋片《かがいへん》のもとの方がたがいに透《す》いているので、スカシユリの名がある。諸国の海岸に野生《やせい》しているユリに、ソトガハマユリとも、テンモクユリとも、ハマユリとも、またイワトユリともいう樺色花《かばいろか》のユリがあるが、これは右スカシユリの原種である。東京付近では房州《ぼうしゅう》〔千葉県の南部〕、相州《そうしゅう》〔神奈川県〕、豆州《ずしゅう》〔伊豆半島と伊豆七島〕へ行けば得られる。
 コオニユリは、オニユリに似て小さいというのでこの名があるが、一にスゲユリともいわれる。それは葉が狭長《きょうちょう》だからである。山地|向陽《こうよう》の草中に野生し、オニユリのごとき丹赤色《たんせきしょく》の花が咲き、暗褐色《あんかっしょく》の斑点《はんてん》がある。球根は食用によろしい。
 ヒメユリはその名の示すごとく可憐《かれん》なユリである。関西地方から九州にかけて山野に野生があるが、そう多くはない。茎《くき》は六〇〜九〇センチメートルに立ち、狭葉《きょうよう》を互生《ごせい》し、梢《こずえ》に少数の枝を分かちて、きわめて美麗《びれい》な真赤色の花が上向きに咲く。この一変種に、コヒメユリというのがある。茎《くき》は細長く花は茎末《けいまつ》に一、二|輪《りん》咲く。この品は野生はなく、まったく園芸品である。
 クルマユリは、その葉が車輪状《しゃりんじょう》をなしているので、この名がある。花は茎梢《けいしょう》に一花ないし数花|点頭《てんとう》して咲き、反巻《はんかん》せる花蓋面《かがいめん》に暗点がある。高山《こうざん》植物の一つであるが、羽前《うぜん》〔山形県〕の飛島《とびしま》に生《は》えているのは珍しいことである。
 右のほかヒメサユリ、タケシマユリ、タツタユリ、ハカタユリ、カサユリなどの種類がある。ウバユリというのは異彩《いさい》を放ったユリで、もとはユリ属(Lilium)に入れてあったが、私はこれをユリ属から独立させて、Cardiocrinum なる別属のものとしている。その葉はユリの諸種とは違い、広闊《こうかつ》なる心臓形で網状脈《もうじょうみゃく》を有し、花は一茎に数花横向きに開き、緑白色《りょくはくしょく》で左右相称状になっている。鱗茎《りんけい》の鱗片《りんぺん》もきわめて少なく、花が咲くとその鱗茎《りんけい》は腐死《ふし》し、その側に一、二の仔苗《しびょう》を残すにすぎない特状がある。この属のもの日本に二種、一はウバユリ、二はオオウバユリである。インド・ヒマラヤ山地方に産する偉大なウバユリ、すなわちヒマラヤウバユリもこの属に属する。
 輸出ユリとしては日本が第一で、年々たくさんな球根が海外へ出ていたが、戦争で頓挫《とんざ》していたけれども、これからふたたび、前日のような盛況《せいきょう》を見るであろうことは請《う》け合いで、わが邦《くに》園芸界のために、大いに祝《しゅく》してよろしい。その輸出ユリの第一はヤマユリ、次がテッポウユリ、次がカノコユリという順序だろう。これらのユリは、日本でなるべくその球根を大きくなるように培養《ばいよう》して、その球根を輸出する。先方ではそれを一年作って、さらにその大きさを増さしめ、そして次年《じねん》に勢《いきお》いよく花を咲かせてその花を賞翫《しょうがん》する。花が咲いた後、弱った球根は捨てて顧《かえり》みない。
 ゆえに年々歳々《ねんねんさいさい》日本から断《た》えず輸入する必要があるので、この貿易は向こうの人の花の嗜好《しこう》が変わらぬ以上いつまでも続くわけで、日本はまことにまたと得がたい良い得意先を持ったものだ。また、良いユリをも持ったものだ。万歳万歳《ばんざいばんざい》。

[#「ユリの図」のキャプション付きの図(fig46821_12.png)入る]

     ハナショウブ

 ハナショウブは世界の Iris 属中の王様で、これがわが邦《くに》の特産植物ときているから、大いに鼻を高くしてよい。アメリカでは、花ショウブ会ができているほどなのであるが、その本国のわが邦《くに》では、たいした会もないのはまことに恥《は》ずかしい次第《しだい》であるから、大いに奮起《ふんき》して、世界に負けないようなハナショウブ学会を設立すべきである、と私は提唱《ていしょう》するに躊躇《ちゅうちょ》しない。
 Iris 属中の各種中で、ハナショウブほど一種中(ワンスピーシーズ中)に園芸上の変わり品を有しているものは、世界中に一つもない。これは独《ひと》り日本の持つ特長である。なんとなれば、ハナショウブを原産する国は、日本よりほかにはないからである。実にハナショウブの品種は、何百通りもあるではないか。
 ハナショウブは、まったく世界に誇《ほこ》るべき花であるがゆえに、どこか適当な地を選んで一大花ショウブ園を設計し、少なくも十万平方メートルぐらいある園を設《もう》けて、各種類を網羅《もうら》するハナショウブを栽《う》え、大いに西洋人をもビックリさすべきである。いまや観光団が来るという矢先《やさき》に、こんな大規模のハナショウブ園を新設するのは、このうえもない意義がある。従来、東京付近にある堀切《ほりきり》、四ツ目などのハナショウブ園は、みな構《かま》えが小さくて問題にならぬ。
 花ショウブは、元来《がんらい》、わが邦《くに》の山野に自生している野《の》ハナショウブがもとで、それを栽培に栽培を重ねて生まれしめたものである。ゆえに、このノハナショウブは栽培ハナショウブの親である。昔かの岩代《いわしろ》〔福島県の西部〕の安積《あさか》の沼のハナショウブを採《と》り来って、園芸植物化せしめたといわれるが、それはたぶん本当であろう。
 しかしハナガツミというものがその原種だというのは、妄説《もうせつ》であると私は信ずる。そしてその歌の、「陸奥《みちのく》のあさかの沼の花がつみかつ見る人に恋やわたらむ」の花ガツミはマコモ、すなわち真菰《まこも》の花を指《さ》したもので、なんらこのハナショウブとは関係はないが、園養のハナショウブを美化《びか》せんがために、強《し》いてこの歌を引用し、付会《ふかい》しているのは笑止《しょうし》の至りである。
 ハナショウブの花は千差万別《せんさばんべつ》、数百品もあるであろう。かつて三好学《みよしまなぶ》博士が大学にいる間に、『花菖蒲図譜《はなしょうぶずふ》』を著《あらわ》して公《おおやけ》にしたが、まことに篤志《とくし》の至りであるといってよい。われらはこの図譜《ずふ》によって、明治末年前後のハナショウブ花品《かひん》を窺《うかが》うことができるわけだ
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