ラ、ハルコザクラなどはその名が高い。とにかく、観賞花としてサクラソウの類は、上乗《じょうじょう》なものである。

[#「サクラソウの図」のキャプション付きの図(fig46821_10.png)入る]

     ヒマワリ

 ヒマワリは一名ヒグルマ、一名ニチリンソウ、一名ヒュウガアオイと呼ばれ、アメリカ合衆国の原産であるが、はやくに広く世界に広まり、諸国で栽培《さいばい》せられている。そしてわが邦《くに》へはけだし、昔中国からそれを伝えたものであろう。今はわが国内でもあまねく諸州で作られている。通常は観賞花草として栽《う》えられているばかりで、その実を食らい、あるいはそれから油を搾《しぼ》るなどのことはやっていないようだ。つまり有用植物としては顧《かえり》みられないでいる。
 世人《せじん》は一般に、ヒマワリの花が日に向こうて回《まわ》るということを信じているが、それはまったく誤りであった。先年私が初めてこれを看破《かんぱ》し、「日まわり日に回《まわ》らず」と題して当時の新聞や雑誌などに書いたことがあった。つまりヒマワリの花は側方に傾《かたむ》いて咲いてはいれど、日に向こうてはいっこうに動かないことは、実地についてヒマワリの花を朝から夕まで見つめていれば、すぐにその真相がわかり、まったくくたびれもうけにおわるほかはない。
 このヒマワリの花が日光を追うて回るということは、もと中国の書物から来たものだ。それは『秘伝花鏡《ひでんかきょう》』という書物に次のとおり書いてある。すなわち、
「向日葵《ひまわり》、毎幹《まいかん》の頂上《ちょうじょう》に只《ただ》一花《いっか》あり、黄弁大心《おうべんたいしん》、其《そ》の形|盤《ばん》の如《ごと》く、太陽に随《したが》いて回転す、如《も》し日が東に昇《のぼ》れば則《すなわ》ち花は東に朝《むか》う、日が天に中《なか》すれば則《すなわ》ち花|直《ただ》ちに上に朝《むか》う、日が西に沈《しず》めば則《すなわ》ち花は西に朝《むか》う」
 である。これが、ヒマワリの日に向こうて回転する、という中国での説である。
 ヒマワリはキク科に属する一年生|草本《そうほん》で、その学名を Helianthus annuus L[#「L」は斜体]. と称し、俗に Sunflower といわれている。すなわち太陽花、すなわち日輪花《にちりんか》である。右属名の Helianthus は、これまた同じく Sunflower と同義で日輪花《にちりんか》を意味し、種名の annuus は一年生植物の義である。なぜこの花を日輪《にちりん》、すなわち太陽にたとえたかというと、あの大きな黄色の花盤《かばん》を太陽の面とし、その周辺に射出《しゃしゅつ》している舌状花弁を、その光線に擬《なぞら》えたものだ。
 中央に広く陣取《じんど》って並《なら》んでいる管状《かんじょう》小花は、その平坦《へいたん》な花托面《かたくめん》を覆《おお》い埋《う》め、下に下位子房《かいしぼう》を具《そな》え、花冠《かかん》は管状をなして、その口五|裂《れつ》し、そして管状内には集葯《しゅうやく》的に連合した五|雄蕊《ゆうずい》があり、中央に一本の花柱《かちゅう》があって右の葯《やく》内を通り、その柱頭《ちゅうとう》は二|岐《き》している。花の後《のち》には子房《しぼう》が成熟して果実となり、果中に一種子があり、種皮の中には二|子葉《しよう》を有する胚《はい》がある。春にこの種子を播《ま》けば能《よ》く生ずる。はじめ緑色の二枚の子葉《しよう》が開展し、その中央から茎《くき》が出て葉を着《つ》ける。そしてその胚には油を含《ふく》んでいる。
 茎《くき》は巨大で、高さが二メートル以上にも達し、あたかも棒のようである。
 葉は広くて、長葉柄《ちょうようへい》を具《そな》え、茎に互生《ごせい》しており、広卵形《こうらんけい》で三大脈を有して、葉縁《ようえん》に粗鋸歯《そきょし》があり、茎《くき》と共《とも》にざらついている。茎《くき》の頂《いただき》に一花あるものもあれば、また分枝《ぶんし》してその各|枝端《したん》に一|輪《りん》ずつの花を着《つ》けるものもある。また品種によって花に大小があり、その大なるものは直径およそ二十センチメートルばかりもあろう。
 このヒマワリの花は、他のキク科植物と同じく集合花で、そのおのおのを学問上で小花《フロレット》と称する。すなわち、この小花が集まって一輪の花を形作っている。こんな集合花を、植物学上で頭状花《とうじょうか》と称する。キク科の花はいずれもみな頭状花である。つまり寄《よ》り合い世帯《せたい》、すなわち一の社会を組み立ている花である。そしてこの寄り合い世帯には、分業が行われてたいへんにこの花に利益をもたらし、それがためにたくさんな種子がよく稔《みの》ることになっている。
 ヒマワリの花は虫媒花《ちゅうばいか》である。昆虫が花の蜜《みつ》を吸《す》いに来て、花盤面《かばんめん》にあるたくさんな小花の上を這《は》い回ると、花が一度に受精《じゅせい》する巧妙《こうみょう》な仕組みになっている。これは他のキク科植物も同様である。
 右に分業といったが、すなわち、花盤《かばん》上にある小花はもっぱら生殖を司《つかさど》り、周辺にある舌状《ぜつじょう》小花は、昆虫に対する目印《めじるし》の看板《かんばん》と併《あわ》せて生殖を担当《たんとう》している。こんな分業などが能《よ》く行われ、且《か》つ受精が巧妙《こうみょう》に行《ゆ》きわたり、また種子の分布《ぶんぷ》も巧《たく》みなので、キク科植物は地球上で最も進歩発達した花である、と評価せられている。そしてキク科植物は、他のいずれの科のものよりも勝《まさ》ってたくさんな種類を含み、はなはだ優勢である。
 ヒマワリの姉妹品《しまいひん》にキクイモがあって同属に列する。その学名を Helianthus tuberosus L[#「L」は斜体].(この種名は塊茎《かいけい》を有する意)と称し、俗に Girasole または Jerusalem artichoke と呼び、やはりアメリカ合衆国ならびにカナダがその原産地である。地中にジャガイモ(馬鈴薯《ばれいしょ》というは大間違い)のような塊茎《かいけい》が生じて食用になるのだが、それにまったく澱粉《でんぷん》はなく、ただイヌリン(ゴボウと同様)があるのみである。味は淡白《たんぱく》であって美味《うま》くないから、だれも食料として歓迎《かんげい》しない。しかれども方法をもってすれば、砂糖《さとう》が製せられるから捨てたものではない。

[#「ヒマワリの図」のキャプション付きの図(fig46821_11.png)入る]

     ユリ

 中国に百合という一種のユリがあって、白い花が咲く。これは中国の特産であって、日本には見ることがない。そして百合は、独《ひと》りこの白花ユリ(Lilium sp. 種名未詳)の専有する特名である。
 百合とは、その地下の球根(植物学上でいえば鱗茎《りんけい》)に多くの鱗片《りんぺん》があって層々《そうそう》と重なっているから、それでそう百合というとのことである。
 ところが日本の諸学者はだれでも百合はササユリ(学名は Lilium Makinoi Koidz[#「Koidz」は斜体].)であるといっている。しかしササユリは、日本の特産で中国には産しないから、もとよりこのユリに中国名の百合の名があるわけはない。この一点をもってしても、ササユリが百合ではないことが判《わか》る。そして日本ではなお百合をユリの総名のように思っており、ユリといえばよく百合と書いているが、それはまったく間違っている。
 日本産のユリには多くの種類があれども、一つも百合に当たるものはない。ゆえに百合を、日本のいずれのユリにも、それに対して用いてはならない。世間《せけん》の女の子によく百合子があるが、これは正しい書き方ではない。ゆえにユリコといいたければ、仮名《かな》でユリ子と書けば問題はないことになる。
 右のような次第《しだい》だから、実を言えば、百合の字面を日本のユリからは追放《ついほう》すべきもので、ユリの名はその語原がまったく不明である。また昔はユリをサイといったらしいが、これもその語原がわからない。しかしユリの想像語原では、ユリの茎《くき》が高く延《の》びて重たげに花が咲き、それに風が当たるとその花が揺《ゆ》れるから、それでユリというのだ、といっていることがある。
 ユリの諸種はみな宿根草《しゅっこんそう》である。地下に鱗茎《りんけい》(俗にいう球根)があって、これが生命の源《みなもと》となっている。すなわち茎葉《けいよう》は枯《か》れても、この部はいつまでも生きていて死なない。
 右、鱗茎《りんけい》は白色、あるいは黄色の鱗片《りんぺん》が相重《あいかさ》なって成《な》っているが、この鱗片《りんぺん》は実は葉の変形したものである。そして地中で養分を貯《たくわ》えている役目をしているから、それで多肉《たにく》となり、多量の澱粉《でんぷん》を含んでいる御蔵《おくら》をなしているが、それを人が食用とするのである。右の鱗片が相擁《あいよう》して塊《かたま》り、球をなしているその球の下に叢生《そうせい》して鬚状《ひげじょう》をなしているものが、ユリの本当の根である。そしてなお鱗茎《りんけい》から出ている一本の茎《くき》にも、その地中部には真の根が横出《おうしゅつ》して生《は》えている。
 茎《くき》は鱗茎《りんけい》、すなわち球根から一本|出《い》でて直立し、狭長《きょうちょう》な葉がたくさんそれに互生《ごせい》している。茎《くき》の梢《こずえ》は多くは分枝《ぶんし》して花を着《つ》けているが、花はみな美しくて香気《こうき》のあるものが少なくない。そして花は上向《うわむ》きに咲くものもあれば、横向きに咲くものもあり、また下向きに咲くものもあって、みな小梗《しょうこう》を有している。
 花は花蓋《かがい》(萼《がく》、花弁同様な姿をしているものを、便宜《べんぎ》のため植物学上では花蓋《かがい》と呼んでいる)が六|片《ぺん》あるが、それが内外二列をなしており、その外列の三片が萼片《がくへん》であり、内列の三片が花弁である。そしてそのもとの方の内面には、よく蜜《みつ》が分泌《ぶんぴつ》せられているのが見られる。六本の雄蕊《ゆうずい》があって、おのおのが花蓋片《かがいへん》の前に立っており、長い花糸《かし》の先にはブラブラと動く葯《やく》があって、たくさんな花粉を出している。この花粉には色があって、それが着物に着《つ》くと、なかなかその色が落ちないので困る。ゆえに、人によりユリの花を嫌《きら》うことがある。
 花の底には一つの緑色の子房《しぼう》が立っており、その頂《いただき》に一本の長い花柱《かちゅう》があり、その末端《まったん》はすなわち柱頭《ちゅうとう》で三耳形《さんじけい》を呈《てい》し、粘滑《ねんかつ》で花粉を受けるに都合《つごう》よくできている。右のように花の中にある子房《しぼう》をば、植物学上では上位子房《じょういしぼう》といっている。
 ユリの花は著《いちじる》しい虫媒花《ちゅうばいか》で、主として蝶々《ちょうちょう》が花を目当《めあ》てに頻々《ひんぴん》と訪問する常得意《じょうとくい》である。それで美麗《びれい》な花色《かしょく》が虫を呼ぶ看板《かんばん》となっており、その花香《かこう》もまた虫を誘《さそ》う一つの手引《てび》きを務《つと》めている。訪問客、すなわち蝶々はその長い嘴《くちばし》を花中へ差し込み、花蓋《かがい》のもとの方の内面に分泌《ぶんぴつ》している蜜《みつ》を吸《す》うのである。その時、その虫の体も嘴《くちばし》も葯《やく》に触《ふ》れて、その花粉を体や嘴《くちばし》に着《つ》ける。そして他の花へ飛びあるいた時、その着《つ》けて来た花粉を粘着《ねんちゃく》する雌蕊《しずい》の柱頭《ち
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