すぎないものである。元来《がんらい》、アジサイは海岸植物のガクアジサイを親として、日本で出生《しゅっせい》した花で、これはけっして中国物ではないことは、われら植物研究者は能《よ》くその如何《いかん》を知っているのである。
 カキツバタは水辺、ならびに湿地《しっち》の宿根草《しゅっこんそう》で、この属中一番|鮮美《せんび》な紫花を開くものである。葉は叢生《そうせい》し、鮮緑色《せんりょくしょく》で幅《はば》広く、扇形《せんけい》に排列《はいれつ》している。初夏《しょか》の候《こう》、葉中《ようちゅう》から茎《くき》を抽《ひ》いて茎梢《けいしょう》に花を着《つ》ける。花のもとに二、三片の大きな緑苞《りょくほう》があって、中に三個の蕾《つぼみ》を擁《よう》し、一日に一|花《か》ずつ咲き出《い》でる。
 花は花下《かか》に緑色の下位子房《かいしぼう》があり、幅《はば》広い萼《がく》三片が垂《た》れて、花を美しく派手《はで》やかに見せており、狭い花弁《かべん》三片が直立し、アヤメの花と同じ様子《ようす》をしている。花中の花柱《かちゅう》は大きく三|岐《き》し、その端《はし》に柱頭《ちゅうとう》があり、その三|岐片《きへん》の下には白色|葯《やく》の雄蕊《ゆうずい》を隠している。この花も同属のアヤメ、ハナショウブ、イチハツなどと同じく虫媒花《ちゅうばいか》で、昆虫により雄蕊《ゆうずい》の花粉が柱頭に伝えられる。花がすむと子房《しぼう》が増大し、ついに長楕円状《ちょうだえんじょう》円柱形の果実となり開裂《かいれつ》して種子が出るが、果内《かない》は三室に分かれている。
 花色《かしょく》は紫のものが普通品だが、また栽培品にはまれに白花のもの、白地《しろじ》に紫斑《しはん》のものもある。きわめてまれに萼《がく》、花弁が六|片《へん》になった異品がある。
 学名を Iris laevigata Fisch[#「Fisch」は斜体]. と称するが、その種名の laevigata は光沢《こうたく》あって平滑《へいかつ》な意で、それはその葉に基《もと》づいて名づけたものであろう。そして属名の Iris は虹《にじ》の意で、それは属中多くの花が美麗《びれい》ないろいろの色に咲くから、これを虹にたとえたものだ。

[#「カキツバタの図」のキャプション付きの図(fig46821_07.png)入る]

     ムラサキ

『万葉集』に「託馬野《つくまぬ》に生ふる紫草衣《むらさききぬ》に染め、いまだ着ずして色に出《い》でけり」という歌があって、この時分|染料《せんりょう》として、ふつうに紫草《むらさきぐさ》を使っていたことを示している。
 ムラサキは日本の名で、紫草《しそう》は中国の名である。根が紫色で、紫を染《そ》める染料となるので、この名がある。そしてその学名は Lithospermum erythrorhizon Sieb[#「Sieb」は斜体]. et Zucc[#「et Zucc」は斜体]. である。すなわちこの種名の erythrorhizon は、字からいえば赤根《せきこん》の意であるが、その意味からいえば紫根《しこん》の意と解せられる。属名の Lithospermum は石の種子《しゅし》の意で、この属の果実が、石のように堅《かた》い種子のように見えるから、それでこんな字を用いたものだ。
 このムラサキは、山野向陽《さんやこうよう》の草中に生じている宿根草《しゅっこんそう》で、根は肥厚《ひこう》していて地中に直下し、単一、あるいは枝分《えだわ》かれがしている。そしてその根皮《こんひ》が、生時《せいじ》は暗紫色《あんししょく》を呈《てい》している。茎《くき》は直立して六〇〜九〇センチメートルに成長し、梢《こずえ》はまばらに分枝《ぶんし》している。葉は披針形《ひしんけい》で尖《とが》り、無柄《むへい》で茎《くき》に互生《ごせい》し茎と共《とも》に毛があり、葉面《ようめん》は白緑色《はくりょくしょく》を呈《てい》している。梢枝《しょうし》には苞葉《ほうよう》があって、その苞腋《ほうえき》に一|輪《りん》ずつの小さい白花が咲くから、緑色の草中にあってちょっと目につく。花のもとの緑萼《りょくがく》は五|尖裂《せんれつ》し、花冠《かかん》は高盆形《こうぼんけい》で花面《かめん》五|裂《れつ》し輻状《ふくじょう》をなしている。花筒内《かとうない》に五|雄蕊《ゆうずい》と一|雌蕊《しずい》とがあり、花柱《かちゅう》のもとに四耳《しじ》をなした子房《しぼう》がある。
 果実は小粒《こつぶ》状の堅《かた》い分果《ぶんか》で、灰色を呈《てい》して光沢《こうたく》があり、蒔《ま》けば能《よ》く生《は》えるから、このムラサキを栽培することは、あえて難事《なんじ》ではない。ゆえに往時《おうじ》は、これを畑に作ったことがあった。野生《やせい》のものはそうザラにはないから、染料《せんりょう》に使うためには、是非《ぜひ》ともこれを作らねばならぬ必要があったのである。そしてこの紫根《しこん》の上等品は染料の方へ回《まわ》し、下等品を薬用の方へ回したものだそうな。
 昔は紫の色はみな紫根《しこん》で染《そ》めた。これがすなわち、いわゆる紫根染《しこんぞ》めである。今はアニリン染料《せんりょう》に圧倒《あっとう》せられて、紫根染《しこんぞ》めを見ることはきわめてまれとなっている。私は先年、秋田県の花輪《はなわ》町の染《そ》め物屋《ものや》に頼《たの》んで、絹地《きぬじ》にこの紫根染《しこんぞ》めをしてもらったが、なかなかゆかしい地色《じいろ》ができ、これを娘の羽織《はおり》に仕立てた。今それをアニリン染料《せんりょう》の紫に比《くら》ぶれば、地色《じいろ》が派手《はで》でないから、玄人《くろうと》が見れば凝《こ》っているが、素人《しろうと》の前では損をするわけだ。私はさらに同|染《そ》め物屋《ものや》で茜染《あかねぞ》めもしてもらったが、茜染《あかねぞ》めの色は赤味がかったオレンジ色であるから、あまり引き立たないが、なんとなく上品である。そしてこの紫根染《しこんぞ》めも茜染《あかねぞ》めもいろいろの模様《もよう》を置くことができず、みな絞《しぼ》り染《ぞ》めである。
 ムラサキと武蔵野《むさしの》はつきものであるが、今日《こんにち》武蔵野にはムラサキは生じていない。しかし昔はそれがあったものと見えて、「紫の一もとゆえに武蔵野の、草はみながら憐《あわ》れとぞ見る」という有名な歌が遺《のこ》っている。
 ムラサキを採《と》りたい人は、富士山の裾野《すその》へ行けば、どこかで見つかるであろう。

[#「ムラサキの図」のキャプション付きの図(fig46821_08.png)入る]

     スミレ

 春の野といえば、すぐにスミレが連想せられる。実際スミレは春の野に咲く花であるが、しかし人家の庭には栽培してはいない。万葉歌の中にはスミレが出ているから、歌人《かじん》はこれに関心を持っていたことがわかる。すなわちその歌は、「春の野《ぬ》にすみれ摘《つ》みにと来《こ》し吾《あれ》ぞ、野《ぬ》をなつかしみ一夜《ひとよ》宿《ね》にける」である。
 スミレは今、いろいろのスミレの種類を総称するような名ともなっていれど、その中で特にスミレというのは、スミレ品類中一等優品で、濃紫色《のうししょく》の花を開く無茎性叢生種《むけいせいそうせいしゅ》の名であって、これを学名では、Viola mandshurica W[#「W」は斜体]. Beck[#「Beck」は斜体]. といっている。満州〔中国の東北地方一帯〕にも産するので、それで mandshurica(「満州の」という意味)の種名がついている。
 そして日本にはスミレの品種が実に百種ほど(変種を入れるとこれ以上)もあって、これがみなスミレ属 Viola に属する。これによってこれを観《み》れば、日本は実にスミレ品種では世界の一等国といってよい。
 スミレ、すなわち Viola mandshurica W[#「W」は斜体]. Beck[#「Beck」は斜体]. は宿根草《しゅっこんそう》で、葉は一|株《かぶ》に叢生《そうせい》し長葉柄《ちょうようへい》があり、葉面《ようめん》は長形で鈍鋸歯《どんきょし》がある。葉と同じ株《かぶ》から花茎《かけい》を抽《ひ》いて花が咲くのだが、花は茎頂《けいちょう》に一|輪《りん》着《つ》き、側方《そくほう》に向こうて開いている。花茎《かけい》にはかならずその途中に狭長《きょうちょう》な苞《ほう》がほとんど対生《たいせい》して着《つ》いており、花には緑色の五|萼片《がくへん》と、色のある五|花弁《かべん》と、五|雄蕊《ゆうずい》と、一|雌蕊《しずい》とがある。花茎《かけい》は一株から一、二本、肥《こ》えた株では十本余りも出ることがある。そして濃紫色《のうししょく》の花が、いつも人目《ひとめ》を惹《ひ》くのである。
 五|片《へん》の花弁中、下方の一花弁には、後《うし》ろに突き出た距《きょ》と称するものを持っている。元来《がんらい》、このスミレの花は虫媒花《ちゅうばいか》なれども、今日《こんにち》ではたいていのスミレ類は果実が稔《みの》らない。そして花の済《す》んだ後に、微小《びしょう》なる閉鎖花《へいさか》がしきりに生じて自家受精《じかじゅせい》をなし、能《よ》く果実ができる特性がある。ゆえにスミレの美花《びか》はまったくむだに咲いているわけだ。しかしここにいう Viola mandshurica W[#「W」は斜体]. Beck[#「Beck」は斜体]. のスミレは、その常花《じょうか》の後で能《よ》く果実の稔《みの》っているものを見かけることがある。このスミレもその後では、しきりと閉鎖花《へいさか》によっての果実が続々とできるのである。
 いったい、スミレの花は昆虫に対し、とても巧妙《こうみょう》にできている。まず花は側方《そくほう》に向いているので、昆虫が来て止まるに都合《つごう》がよい。花弁は上の方に二|片《へん》、両側に二片、下の方に一片がある。そしてこの一片の後方に一つの距《きょ》のあることは、前に記したとおりである。
 花が開いていると、たちまち蜜蜂《みつばち》のごとき昆虫の訪問がある。それは花の後《うし》ろにある距《きょ》の中の蜜《みつ》を吸いに来たお客様である。さっそく自分の頭を花中へ突き入れる。そしてその嘴《くちばし》を距《きょ》の中へ突き込むと、その距《きょ》の中に二つの梃子《てこ》のようなものが出ていてそれに触《ふ》れる。この梃子《てこ》ようのものは、五|雄蕊《ゆうずい》中の下の二|雄蕊《ゆうずい》から突き出たもので、昆虫の嘴《くちばし》がこれに触《ふ》れてそれを動かすために、雄蕊《ゆうずい》の葯《やく》が動き、その葯《やく》からさらさらとした油気《あぶらけ》のない花粉が落ちて来て、昆虫の毛のある頭へ降りかかる。
 そしてこの昆虫がよい加減《かげん》蜜《みつ》を吸うたうえは、頭に花粉をつけたままこの花を辞《じ》し去って他の花へ行く。そして同じく花中へ頭を突き込む。その時、前の花から頭へつけて来た花粉を今度の花の花柱《かちゅう》、それはちょうど昆虫の頭のところへ出て来ている花柱の末端《まったん》の柱頭《ちゅうとう》へつける。この柱頭には粘液《ねんえき》が出ていて、持って来た花粉がそれに粘着《ねんちゃく》する。花粉が粘着すると、さっそく花粉管が花粉より延《の》び出て、花柱の中を通って子房《しぼう》の中の卵子《らんし》に達し、それから卵子が生長して種子となるが、それと同時に子房は成熟して果実となるのである。
 実にスミレ類は、このように昆虫とは縁の深い関係になっているのである。しかしかく昆虫に努力させても、花が果実を結ばず無駄咲《むだざ》きをしているものが多いのは、まことにもったいなき次第《しだい》である。それはちょうど水仙《すいせん》の花、ヒガンバナの花などと同じ趣《おもむき》で
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