というのだと解釈してあるが、しかし葉が苦《にが》いというよりは根の方がもっと苦《にが》い、すなわちこの根からいわゆるゲンチアナチンキが製せられ、健胃剤《けんいざい》に使われている。
 リンドウは昔ニガナといった。すなわち、その草の味が苦《にが》いからであろう。また播州《ばんしゅう》〔兵庫県南部〕ではオコリオトシというそうだが、これもその草を煎《せん》じて飲めば味が苦《にが》いから、病気のオコリがオチル、すなわち癒《なお》るというのであろう。また葉が笹《ささ》のようであるから、ササリンドウの名もある。
 リンドウは向陽《こうよう》の山地、もしくは原野の草間《そうかん》に多く生ずる宿根草《しゅっこんそう》で、茎《くき》は三〇〜六〇センチメートルばかり、葉は狭《せま》くて尖《とが》り無柄《むへい》で茎を抱《いだ》いて対生《たいせい》し、全辺で葉中《ようちゅう》に三|縦脈《じゅうみゃく》があり、元来《がんらい》緑色なれど、日を受けて往々《おうおう》紫色に染《そ》んでいる。秋|更《ふ》けての候《こう》、その花は茎頂《けいちょう》に集合して咲き、また梢葉腋《しょうようえき》にも咲く。花下《かか》に緑萼《りょくがく》があって、尖《とが》った五つの狭長片《きょうちょうへん》に分かれ、花冠《かかん》は大きな筒《つつ》をなし、口は五|裂《れつ》して副片《ふくへん》がある。この花冠《かかん》は非常に日光に敏感《びんかん》であるから、日が当たると開き、日がかげると閉《と》じる。
 ゆえに雨天《うてん》の日は終日《しゅうじつ》開かなく、また夜中もむろん閉《と》じている。閉じるとその形が筆《ふで》の頴《ほ》の形をしていて捩《ねじ》れたたんでいる。色は藍紫色《らんししょく》で外は往々|褐紫色《かっししょく》を呈《てい》しているが、まれに白花のものがある。筒中《とうちゅう》に五|雄蕊《ゆうずい》と一|雌蕊《しずい》とが見られる。花後《かご》には、宿存花冠《しゅくそんかかん》の中で長莢《ちょうきょう》状の果実が熟《じゅく》し、二つに裂《さ》けて細かい種子が出る。このように果実が熟した後|茎《くき》は枯《か》れ行き、根は残るのである。
 花は形が大きく且《か》つはなはだ風情《ふぜい》があり、ことにもろもろの花のなくなった晩秋《ばんしゅう》に咲くので、このうえもなく懐《なつ》かしく感じ、これを愛する気が油然《ゆうぜん》と湧《わ》き出るのを禁じ得ない。されども、人々が野や山より移して庭に栽植《さいしょく》しないのはどうしたものか、やはり、野に置けれんげそうの類かとも思えども、しかしそう野でこれを楽しむ人もないようだ。
 リンドウはリンドウ科に属し、わが邦《くに》では本科中の代表者といってよい。そしてその学名は Gentiana scabra Bunge[#「Bunge」は斜体] var. Buergeri Maxim[#「Maxim」は斜体]. である。この学名中にある var. はラテン語 varietas(英語の variety)の略字で、変種ということである。
 このリンドウ属(Gentiana)には、わが邦《くに》に三十種以上の種類があるが、その中でアサマリンドウ、トウヤクリンドウ、オヤマリンドウ、ハルリンドウ、フデリンドウ、コケリンドウなどは著名な種類である。右のアサマリンドウは、伊勢《いせ》〔三重県〕の朝熊山《あさまやま》にあるから名づけたものだが、また土佐《とさ》〔高知県〕の横倉山《よこぐらやま》にも産する。
 根の味が最も苦《にが》く、能《よ》く振《ふ》り出して健胃《けんい》のために飲用《いんよう》するセンブリは、一《いつ》にトウヤクともいい、やはりこのリンドウ科に属すれど、これはリンドウ属のものではなく、まったく別属のもので、その学名を Swertia japonica Makino[#「Makino」は斜体] といい、効力ある薬用植物として『日本薬局方』に登録せられている。秋に原野に行けば、採集ができる。

[#「リンドウの図」のキャプション付きの図(fig46821_05.png)入る]

     アヤメ

 アヤメといえば、だれでもアヤメ科中の Iris 属のものと思っているでしょう。それもそのはず、今日《こんにち》ではアヤメと呼べば一般にそうなっているからだ。しかし厳格にいえば、このアヤメはまさにハナアヤメといわねばならぬものであった。なんとなれば、一方に本当のアヤメがあったからだ。とはいえ、この本当のアヤメの名は、実は今日ではすでに廃《すた》れてそうはいわず、ただ古歌《こか》などの上に残っているにすぎない運命となっているから、そう心配するにも及《およ》ぶまい。
 右に古歌《こか》といったが、その古歌とはどんな歌か、今|試《こころ》みに数首《すうしゅ》を次に挙《あ》げてみよう。

[#ここから2字下げ]
ほととぎす厭《いと》ふときなしあやめぐさ
  かづらにせん日|此《こ》ゆ鳴きわたれ
ほととぎす待てど来鳴かずあやめぐさ
  玉に貫《ぬ》く日をいまだ遠みか
あやめぐさひく手もたゆくながき根の
  いかであさかの沼に生《お》ひけむ
ほととぎす鳴くやさつきのあやめぐさ
  あやめも知らぬ恋もするかな
[#ここで字下げ終わり]

 などがある。さてこの歌にあるアヤメグサ、すなわちアヤメは、ショウブすなわち白菖《はくしょう》のことである。(世間《せけん》一般に今ショウブと呼んでいる水草《みずくさ》を菖蒲と書くのは間違いで、菖蒲は実はセキショウの中国名である。ショウブの名はこの菖蒲から出たものではあれど、それは元来《がんらい》は間違いであることをわきまえていなければならない。)そして前の Iris 属のハナアヤメとは、まったく違った草である。
 昔、右のショウブをアヤメといっていた時代には、今の Iris 属のアヤメは、前記のとおりハナアヤメといって花を冠《かん》していたが、ショウブに対するアヤメの名が廃《すた》れた後は、単にアヤメと呼ぶようになり、これが今日《こんにち》の通称となっている。すなわち白菖《はくしょう》がアヤメであった時は、今日《こんにち》のアヤメがハナアヤメであったが、アヤメの名がショウブとなるに及《およ》んで、ハナアヤメがアヤメとなり、時代により名称に変遷《へんせん》のあったことを示している。
 あまねく人の知っているかの潮来節《いたこぶし》の俚謡《りよう》に、

[#ここから2字下げ]
潮来出島《いたこでじま》のまこもの中にあやめ咲くとはしおらしい
[#ここで字下げ終わり]

 というのがある。この謡《うた》はその中にあるアヤメがこんがらかって、ウソとマコトとで織《お》りなされている。すなわちこの謡《うた》の作者は、謡《うた》のアヤメを美花《びか》の咲く Iris のアヤメとしているけれど、この Iris のアヤメは、けっして水中に生《は》えているマコモの中に咲くことはない。そしてこのアヤメは陸草《りくそう》だから水中には育たない。マコモといっしょになって生《は》えている水草のアヤメは、古名《こめい》のアヤメで今のショウブのことであるから、これならマコモの中にいっしょに生《は》えていても、なにも別に不思議《ふしぎ》はない。
 サーことだ、美花《びか》を開くアヤメはマコモの中にはなく、マコモの中に生《は》えているアヤメは、つまらぬ不顕著《ふけんちょ》な緑色の細かい花が、グロ的な花穂《かすい》をなしているにすぎなく、ふつうの人はあまりこの花を知っていないほどつまらぬ花だ。
 上の謡《うた》の「まこもの中にあやめ咲くとはしおらしい」のアヤメは、マコモの中に咲かなく、つまらぬ花を持った昔のアヤメ(ショウブ)が咲くばかりであるから、この俚謡《りよう》の意味がまったくめちゃくちゃになっている。謡《うた》はきれいな謡だが、実物上からいえば、まったく事実を取り違えたつまらぬ謡《うた》だ。はじめてその事実の誤《あやま》りを摘発《てきはつ》して世に発表したのは私であって、記事の題は、「実物上から観《み》た潮来出島《いたこでじま》の俚謡《りよう》」であった。それはちょうど今から十六年前の、昭和八年のことだ。

[#「アヤメの図」のキャプション付きの図(fig46821_06.png)入る]

     カキツバタ

 アヤメを書いたついでに、それと同属のカキツバタについて述べてみよう。
 カキツバタの語原は書きつけ花の意で、その転訛《てんか》である。すなわち、書きつけは摺《す》り付《つ》けることで、その花汁《かじゅう》をもって布を摺《す》り染《そ》めることである。昔はこのような染め方が行われて、カキツバタの花の汁《しる》を染料《せんりょう》にしたのである。
 その証拠《しょうこ》には『万葉集』に次の歌がある。

[#ここから2字下げ]
住吉《すみのえ》の浅沢小野《あささはをぬ》のかきつばた
  衣《きぬ》に摺《す》りつけ著《き》む日知らずも
かきつばた衣《きぬ》に摺《す》りつけ丈夫《ますらを》の
  きそひ猟《かり》する月は来にけり
[#ここで字下げ終わり]

 この二つの歌を見れば、カキツバタの花の汁《しる》で布を染《そ》めたことが能《よ》くわかる。(こういう場合の「よく」を「良く」と書いてはいけない。)
 今からおよそ十年|余《あま》りも前に、広島県|安芸《あき》の国〔県の西部〕の北境《ほっきょう》なる八幡《やはた》村で、広さ数百メートルにわたるカキツバタの野生群落《やせいぐんらく》に出逢《であ》い、折《おり》ふし六月で、花が一面に満開して壮観《そうかん》を極《きわ》め、大いに興《きょう》を催《もよお》し、さっそくたくさんな花を摘《つ》んで、その紫汁《しじゅう》でハンケチを染《そ》め、また白シャツに摺《す》り付《つ》けてみたら、たちまち美麗《びれい》に染《そ》まって、大いに喜んだことがあった。その時、興《きょう》に乗《じょう》じて左の拙句《せっく》を吐《は》いてみた。

[#ここから2字下げ]
衣《きぬ》に摺《す》りし昔の里かかきつばた
ハンケチに摺《す》って見せけりかきつばた
白シャツに摺《す》り付《つ》けて見るかきつばた
この里に業平《なりひら》来ればここも歌
見劣《みおと》りのしぬる光淋屏風《こうりんびょうぶ》かな
見るほどに何《なん》となつかしかきつばた
去《い》ぬは憂《う》し散るを見果《みは》てんかきつばた
[#ここで字下げ終わり]

 世人《せじん》、イヤ歌読みでも、俳人《はいじん》でも、また学者でも、カキツバタを燕子花と書いて涼《すず》しい顔をして納《おさ》まりかえっているが、なんぞ知らん、燕子花はけっしてカキツバタではなく、これをそういうのは、とんでもない誤《あやま》りであることを吾人《ごじん》は覚《さと》らねばならない。
 しからばすなわち燕子花とはなにか、燕子花の本物はキツネノボタン科に属するヒエンソウの一種で、オオヒエンソウ、すなわち Delphinium grandiflorum L[#「L」は斜体]. と呼ぶ陸生宿根草本《りくせいしゅっこんそうほん》で、藍色《あいいろ》の美花《びか》を一|花穂《かすい》に七、八花も開くものである。その花形《かけい》が、あたかも燕《つばめ》が飛んでいるような恰好《かっこう》から、それで燕子花の名がある。茎《くき》は細長く、高さおよそ六〇センチメートル内外で立ち、葉は細かく分裂し茎《くき》に互生《ごせい》している。そしてこの草は中国の北地、ならびに満州〔中国の東北地方〕には広く原野《げんや》に生じているが、わが日本にはあえて産しない。
 燕子花と同様な大間違《おおまちが》いをしているものは、紫陽花である。日本人はだれでもこの紫陽花をアジサイと信じ切っていれど、これもまことにおめでたい間違《まちが》いをしているのである。この紫陽花は、中国人でもそれが何であるか、その実物を知っていないほど不明な植物で、ただ中国の白楽天《はくらくてん》の詩集に、わずかにその詩が載《の》っているに
前へ 次へ
全12ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 富太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング