いているからである。
野外で、また山面で、また墓場で、また土堤《どて》などで、花が一時に咲き揃《そろ》い、たくさんに群集して咲いている場合はまるで火事場のようである。そしてその咲く時は葉がなく、ただ花茎《かけい》が高く直立していて、その末端《まったん》に四、五|花《か》が車座《くるまざ》のようになって咲き、反巻《はんかん》せる花蓋片《かがいへん》は六数、雄蕊《ゆうずい》も六数、雌蕊《しずい》の花柱《かちゅう》が一本、花下《かか》にある。下位子房《かいしぼう》は緑色で各|小梗《しょうこう》を具《そな》えている。
ここに不思議《ふしぎ》なことには、かくも盛《さか》んに花が咲き誇《ほこ》るにかかわらず、いっこうに実を結ばないことである。何百何千の花の中には、たまに一つくらい結実してもよさそうなものだが、それが絶対にできなく、その花はただ無駄《むだ》に咲いているにすぎない。しかし実ができなくても、その繁殖《はんしょく》にはあえて差しつかえがないのは、しあわせな草である。それは地中にある球根(学術上では鱗茎《りんけい》と呼ばれる)が、漸々《ぜんぜん》に分裂して多くの仔苗《しびょう》を作るから
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