る事実である。すなわち一方の花は五つの雄蕊《ゆうずい》が花筒《かとう》の入口直下についていて、その雌蕊《しずい》の花柱《かちゅう》は短い。また一方の花は雄蕊《ゆうずい》が花筒《かとう》の中途についていて、その花柱は長く花筒の口に達している。すなわち前者は高雄蕊短花柱《こうゆうずいたんかちゅう》の花であり、後者は低雄蕊長花柱《ていゆうずいちょうかちゅう》の花である。
 ゆえにこれらの花は自分の花粉を自分の柱頭《ちゅうとう》に伝うることができず、是非《ぜひ》ともそれを持ってきてくれる何者かに依頼《いらい》せねばならないように、自然がそう鉄則《てっそく》を設《もう》けている。まことに不自由な花のようだが、実はそれがそう不自由でないのはおもしろいことではないか。なんとなれば、そこには花粉の橋渡《はしわた》し役を勤《つと》めるものがあって、断《た》えずこの花を訪《おとず》れるからである。そしてその訪問者は蝶々《ちょうちょう》である。花の上を飛び回《まわ》っている蝶々は、ときどき花に止まって仲人《なこうど》となっているのである。
 今、蝶《ちょう》が来て高雄蕊低花柱《こうゆうずいていかちゅう》の花
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