なにも別に不思議《ふしぎ》はない。
サーことだ、美花《びか》を開くアヤメはマコモの中にはなく、マコモの中に生《は》えているアヤメは、つまらぬ不顕著《ふけんちょ》な緑色の細かい花が、グロ的な花穂《かすい》をなしているにすぎなく、ふつうの人はあまりこの花を知っていないほどつまらぬ花だ。
上の謡《うた》の「まこもの中にあやめ咲くとはしおらしい」のアヤメは、マコモの中に咲かなく、つまらぬ花を持った昔のアヤメ(ショウブ)が咲くばかりであるから、この俚謡《りよう》の意味がまったくめちゃくちゃになっている。謡《うた》はきれいな謡だが、実物上からいえば、まったく事実を取り違えたつまらぬ謡《うた》だ。はじめてその事実の誤《あやま》りを摘発《てきはつ》して世に発表したのは私であって、記事の題は、「実物上から観《み》た潮来出島《いたこでじま》の俚謡《りよう》」であった。それはちょうど今から十六年前の、昭和八年のことだ。
[#「アヤメの図」のキャプション付きの図(fig46821_06.png)入る]
カキツバタ
アヤメを書いたついでに、それと同属のカキツバタについて述べてみよう。
カ
前へ
次へ
全119ページ中27ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 富太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング