実を結ぶけれど、食うようなものはけっしてできない。このバショウの名は芭蕉《ばしょう》から来たものだけれど、元来《がんらい》芭蕉はバナナ類の名だから、右のように日本のバショウの名として用いることは反則である。昔の日本の学者は芭蕉《ばしょう》の本物を知らなかったので、そこでこの芭蕉《ばしょう》の字を濫用《らんよう》し、それが元《もと》でバショウの名がつけられ今日《こんにち》に及《およ》んでいるのである。いまさら改《あらた》めようもないから、まずそのままにしておくよりほか仕方《しかた》がない。そしてこのバショウは、元来《がんらい》日本のものではなく昔中国から渡って来た外来《がいらい》植物なのである。
中国名の芭蕉《ばしょう》は一に甘蕉《かんしょう》ともいい、実はバナナ、すなわちその果実の味の甘《あま》いバナナ類を総称した名である。ゆえにバナナを芭蕉《ばしょう》といい、甘蕉《かんしょう》といってもよいわけだ。
数年前には台湾《たいわん》より多量のバナナが日本の内地に輸入せられ、大きな籠《かご》に入れたまま、それが神戸港《こうべこう》などに陸上《りくあ》げせられた時はまだ緑色であった。それを
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