、皮のように剥《は》げる皮は実はその外果皮《がいかひ》で、これは繊維質《せんいしつ》であるから、それが細胞質の肉部すなわち中果皮《ちゅうかひ》内果皮《ないかひ》から容易に剥《は》ぎ取れるわけだ。この繊維質部は食用にならぬが、食用になるのはその次にある細胞質の部のみで、これが前記のとおり中果皮《ちゅうかひ》と内果皮《ないかひ》とである。
元来《がんらい》このバナナが正しい形状を保っていたなら、こんな食《く》える肉はできずに繊維質の硬《かた》い果皮《かひ》のみと種子とが発達するわけだけれど、それがおそろしく変形して厚い多肉部が生じ種子はまったく不熟《ふじゅく》に帰《き》して、ただ果実の中央に軟《やわ》らかい黒ずんだ痕跡《こんせき》を存しているのみですんでいる。すなわちこれは果実の常態《じょうたい》ではなくまったく一の変態で、つまり一の不具である。すなわちこれが不具であってくれたばっかりに、吾人《ごじん》はこの珍果《ちんか》を口にする幸運に遭《あ》っているのである。要するに、われらはバナナの中果皮、内果皮なる皮を食《く》って喜んでいるわけだ。
わが邦《くに》にあるバショウにも花が咲いて果
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