と同じものであるとする所説は、まったく噴飯《ふんぱん》ものである。要するに、歴史上のタチバナと日本野生品のタチバナとは、全然関係のないミカンであることを私は断言《だんげん》する。
 前記《ぜんき》のとおりわが邦《くに》野生のいわゆるタチバナに、かくタチバナの名を保《も》たしておくのは元来《がんらい》間違いであるのみならず、前からすでにある歴史上のタチバナの本物と重複するから、これをヤマトタチバナと改称すると提議したのは、土佐《とさ》〔高知県〕出身で当時|柑橘界《かんきつかい》の第一人者であった田村|利親《としちか》氏であったが、その後、私はさらにそれを日本《にっぽん》タチバナの名に改訂《かいてい》した。
 なぜそうしたかというと、ザボンの一品に疾《と》くヤマトタチバナの名称があったからであった。ちなみに右田村氏は、かつて日向《ひゅうが》の国〔宮崎県〕において一の新蜜柑《しんみかん》を発見し、これを小夏蜜柑《こなつみかん》と名づけて世に出した。すなわち小形の夏蜜柑《なつみかん》の意で、そのとおり夏蜜柑《なつみかん》よりは小形である。そしてその味は夏蜜柑ほど酸《す》っぱくなくて甘味《あまみ
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