タチバナの名は、その常世《とこよ》の国からはるばると携《たずさ》え帰朝《きちょう》した前記の田道間守《たじまもり》の名にちなんで、かくタチバナと名づけたとのことである。
 珍しくも日本の九州、四国、ならびに本州の山地に野生《やせい》しているミカン類の一種に、通常タチバナといっているものがある。黄色の小さい実がなるのだが、果実が小さい上に汁《しる》が少なく種子が大きく、とても食用の果実にはならぬ劣等至極《れっとうしごく》なミカンである。これを栽植《さいしょく》したものが時折《ときおり》神社の庭などにあるのだが、そんな場合、多少実が大きく、小さいコウジの実ぐらいになっているものもあれど、食用果実としてはなんら一顧《いっこ》の価値だもないものである。
 世人《せじん》はタチバナの名に憧《あこが》れて勝手にこれを歴史上のタチバナと結びつけ、貴《とうと》んでいることがあれど、これはまことに笑止千万《しょうしせんばん》な僻事《ひがごと》である。かの京都の紫宸殿《ししんでん》前の右近《うこん》の橘《たちばな》が畢竟《ひっきょう》この類にほかならない。そしてこんな下等な一小ミカンが前記歴史上のタチバナ
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