ているので、それがミカンの皮をなしている。そして果実全体からいえば、その部が外果皮《がいかひ》と中果皮《ちゅうかひ》とに当たり、嚢《ふくろ》の部分が内果皮《ないかひ》と果実の本部とに当たるのである。
 なお図に種子が描いてあるが、この種子はなんら食用とはならず捨て去られるものである。しかしおもしろいことには、一つの種皮の中に子葉《しよう》(貝割葉《かいわれば》)、幼芽《ようが》、幼根《ようこん》から成《な》る胚《はい》が二個もしくは数個あることで、そこでこれを地に播《ま》いておくと一つの種子から二本あるいは数本の仔苗《しびょう》が生《は》え出てくることで、これはあまり他に類のないことである。
 ミカン類の葉はみな一片ずつになっていて、それが枝《えだ》に互生《ごせい》しているが、しかしミカン類の葉は祖先は三出葉とて三枚の小葉《しょうよう》から成《な》り、ちょうどカラタチ(キコク)の葉を見るようであったことが推想《すいそう》せられる。つまり前世界時代のミカン類の葉は、みな三出葉であったのである。その証拠《しょうこ》として今日《こんにち》あるミカンの苗《なえ》にははじめ三出葉が出《い》で、次
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