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     ムラサキ

『万葉集』に「託馬野《つくまぬ》に生ふる紫草衣《むらさききぬ》に染め、いまだ着ずして色に出《い》でけり」という歌があって、この時分|染料《せんりょう》として、ふつうに紫草《むらさきぐさ》を使っていたことを示している。
 ムラサキは日本の名で、紫草《しそう》は中国の名である。根が紫色で、紫を染《そ》める染料となるので、この名がある。そしてその学名は Lithospermum erythrorhizon Sieb[#「Sieb」は斜体]. et Zucc[#「et Zucc」は斜体]. である。すなわちこの種名の erythrorhizon は、字からいえば赤根《せきこん》の意であるが、その意味からいえば紫根《しこん》の意と解せられる。属名の Lithospermum は石の種子《しゅし》の意で、この属の果実が、石のように堅《かた》い種子のように見えるから、それでこんな字を用いたものだ。
 このムラサキは、山野向陽《さんやこうよう》の草中に生じている宿根草《しゅっこんそう》で、根は肥厚《ひこう》していて地中に直下し、単一、あるいは枝分《えだわ》かれがしている。そしてその根皮《こんひ》が、生時《せいじ》は暗紫色《あんししょく》を呈《てい》している。茎《くき》は直立して六〇〜九〇センチメートルに成長し、梢《こずえ》はまばらに分枝《ぶんし》している。葉は披針形《ひしんけい》で尖《とが》り、無柄《むへい》で茎《くき》に互生《ごせい》し茎と共《とも》に毛があり、葉面《ようめん》は白緑色《はくりょくしょく》を呈《てい》している。梢枝《しょうし》には苞葉《ほうよう》があって、その苞腋《ほうえき》に一|輪《りん》ずつの小さい白花が咲くから、緑色の草中にあってちょっと目につく。花のもとの緑萼《りょくがく》は五|尖裂《せんれつ》し、花冠《かかん》は高盆形《こうぼんけい》で花面《かめん》五|裂《れつ》し輻状《ふくじょう》をなしている。花筒内《かとうない》に五|雄蕊《ゆうずい》と一|雌蕊《しずい》とがあり、花柱《かちゅう》のもとに四耳《しじ》をなした子房《しぼう》がある。
 果実は小粒《こつぶ》状の堅《かた》い分果《ぶんか》で、灰色を呈《てい》して光沢《こうたく》があり、蒔《ま》けば能《よ》く生《は》えるから、このムラサキを栽培することは、あえて難事《なんじ》ではない。ゆえに往時《おうじ》は、これを畑に作ったことがあった。野生《やせい》のものはそうザラにはないから、染料《せんりょう》に使うためには、是非《ぜひ》ともこれを作らねばならぬ必要があったのである。そしてこの紫根《しこん》の上等品は染料の方へ回《まわ》し、下等品を薬用の方へ回したものだそうな。
 昔は紫の色はみな紫根《しこん》で染《そ》めた。これがすなわち、いわゆる紫根染《しこんぞ》めである。今はアニリン染料《せんりょう》に圧倒《あっとう》せられて、紫根染《しこんぞ》めを見ることはきわめてまれとなっている。私は先年、秋田県の花輪《はなわ》町の染《そ》め物屋《ものや》に頼《たの》んで、絹地《きぬじ》にこの紫根染《しこんぞ》めをしてもらったが、なかなかゆかしい地色《じいろ》ができ、これを娘の羽織《はおり》に仕立てた。今それをアニリン染料《せんりょう》の紫に比《くら》ぶれば、地色《じいろ》が派手《はで》でないから、玄人《くろうと》が見れば凝《こ》っているが、素人《しろうと》の前では損をするわけだ。私はさらに同|染《そ》め物屋《ものや》で茜染《あかねぞ》めもしてもらったが、茜染《あかねぞ》めの色は赤味がかったオレンジ色であるから、あまり引き立たないが、なんとなく上品である。そしてこの紫根染《しこんぞ》めも茜染《あかねぞ》めもいろいろの模様《もよう》を置くことができず、みな絞《しぼ》り染《ぞ》めである。
 ムラサキと武蔵野《むさしの》はつきものであるが、今日《こんにち》武蔵野にはムラサキは生じていない。しかし昔はそれがあったものと見えて、「紫の一もとゆえに武蔵野の、草はみながら憐《あわ》れとぞ見る」という有名な歌が遺《のこ》っている。
 ムラサキを採《と》りたい人は、富士山の裾野《すその》へ行けば、どこかで見つかるであろう。

[#「ムラサキの図」のキャプション付きの図(fig46821_08.png)入る]

     スミレ

 春の野といえば、すぐにスミレが連想せられる。実際スミレは春の野に咲く花であるが、しかし人家の庭には栽培してはいない。万葉歌の中にはスミレが出ているから、歌人《かじん》はこれに関心を持っていたことがわかる。すなわちその歌は、「春の野《ぬ》にすみれ摘《つ》みにと来《こ》し吾《あれ》ぞ、野《ぬ》をなつかしみ一夜《ひとよ》宿《ね》にける」である。
 スミ
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