め、大いに興《きょう》を催《もよお》し、さっそくたくさんな花を摘《つ》んで、その紫汁《しじゅう》でハンケチを染《そ》め、また白シャツに摺《す》り付《つ》けてみたら、たちまち美麗《びれい》に染《そ》まって、大いに喜んだことがあった。その時、興《きょう》に乗《じょう》じて左の拙句《せっく》を吐《は》いてみた。

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衣《きぬ》に摺《す》りし昔の里かかきつばた
ハンケチに摺《す》って見せけりかきつばた
白シャツに摺《す》り付《つ》けて見るかきつばた
この里に業平《なりひら》来ればここも歌
見劣《みおと》りのしぬる光淋屏風《こうりんびょうぶ》かな
見るほどに何《なん》となつかしかきつばた
去《い》ぬは憂《う》し散るを見果《みは》てんかきつばた
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 世人《せじん》、イヤ歌読みでも、俳人《はいじん》でも、また学者でも、カキツバタを燕子花と書いて涼《すず》しい顔をして納《おさ》まりかえっているが、なんぞ知らん、燕子花はけっしてカキツバタではなく、これをそういうのは、とんでもない誤《あやま》りであることを吾人《ごじん》は覚《さと》らねばならない。
 しからばすなわち燕子花とはなにか、燕子花の本物はキツネノボタン科に属するヒエンソウの一種で、オオヒエンソウ、すなわち Delphinium grandiflorum L[#「L」は斜体]. と呼ぶ陸生宿根草本《りくせいしゅっこんそうほん》で、藍色《あいいろ》の美花《びか》を一|花穂《かすい》に七、八花も開くものである。その花形《かけい》が、あたかも燕《つばめ》が飛んでいるような恰好《かっこう》から、それで燕子花の名がある。茎《くき》は細長く、高さおよそ六〇センチメートル内外で立ち、葉は細かく分裂し茎《くき》に互生《ごせい》している。そしてこの草は中国の北地、ならびに満州〔中国の東北地方〕には広く原野《げんや》に生じているが、わが日本にはあえて産しない。
 燕子花と同様な大間違《おおまちが》いをしているものは、紫陽花である。日本人はだれでもこの紫陽花をアジサイと信じ切っていれど、これもまことにおめでたい間違《まちが》いをしているのである。この紫陽花は、中国人でもそれが何であるか、その実物を知っていないほど不明な植物で、ただ中国の白楽天《はくらくてん》の詩集に、わずかにその詩が載《の》っているにすぎないものである。元来《がんらい》、アジサイは海岸植物のガクアジサイを親として、日本で出生《しゅっせい》した花で、これはけっして中国物ではないことは、われら植物研究者は能《よ》くその如何《いかん》を知っているのである。
 カキツバタは水辺、ならびに湿地《しっち》の宿根草《しゅっこんそう》で、この属中一番|鮮美《せんび》な紫花を開くものである。葉は叢生《そうせい》し、鮮緑色《せんりょくしょく》で幅《はば》広く、扇形《せんけい》に排列《はいれつ》している。初夏《しょか》の候《こう》、葉中《ようちゅう》から茎《くき》を抽《ひ》いて茎梢《けいしょう》に花を着《つ》ける。花のもとに二、三片の大きな緑苞《りょくほう》があって、中に三個の蕾《つぼみ》を擁《よう》し、一日に一|花《か》ずつ咲き出《い》でる。
 花は花下《かか》に緑色の下位子房《かいしぼう》があり、幅《はば》広い萼《がく》三片が垂《た》れて、花を美しく派手《はで》やかに見せており、狭い花弁《かべん》三片が直立し、アヤメの花と同じ様子《ようす》をしている。花中の花柱《かちゅう》は大きく三|岐《き》し、その端《はし》に柱頭《ちゅうとう》があり、その三|岐片《きへん》の下には白色|葯《やく》の雄蕊《ゆうずい》を隠している。この花も同属のアヤメ、ハナショウブ、イチハツなどと同じく虫媒花《ちゅうばいか》で、昆虫により雄蕊《ゆうずい》の花粉が柱頭に伝えられる。花がすむと子房《しぼう》が増大し、ついに長楕円状《ちょうだえんじょう》円柱形の果実となり開裂《かいれつ》して種子が出るが、果内《かない》は三室に分かれている。
 花色《かしょく》は紫のものが普通品だが、また栽培品にはまれに白花のもの、白地《しろじ》に紫斑《しはん》のものもある。きわめてまれに萼《がく》、花弁が六|片《へん》になった異品がある。
 学名を Iris laevigata Fisch[#「Fisch」は斜体]. と称するが、その種名の laevigata は光沢《こうたく》あって平滑《へいかつ》な意で、それはその葉に基《もと》づいて名づけたものであろう。そして属名の Iris は虹《にじ》の意で、それは属中多くの花が美麗《びれい》ないろいろの色に咲くから、これを虹にたとえたものだ。

[#「カキツバタの図」のキャプション付きの図(fig46821_07.png)
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