に止まったとする。すなわちその長い嘴《くちばし》をさっそく花に差し込んで、花底《かてい》の蜜《みつ》を吸う。その時その嘴《くちばし》に高雄蕊《こうゆうずい》の花粉をつける。次にこの蝶が低雄蕊高花柱《ていゆうずいこうかちゅう》の花に行き、その嘴《くちばし》を花に差し込む。そうすると低雄蕊《ていゆうずい》の花粉がその嘴《くちばし》に付着するばかりでなく、前の花の高雄蕊からつけて来た花粉を高花柱《こうかちゅう》の柱頭《ちゅうとう》につける。また右の低雄蕊の花からその低雄蕊の花粉をつけて来た蝶は、その花粉を低花柱《ていかちゅう》の柱頭につける。
 このようにその花の受精するのは、どうしても他の花から花粉を持って来てもらわぬ限りそれができないから、自分の花粉で自分の花の受精作用はまったく不可能である。他花《たか》の花粉で、自分の花の受精作用を行わんがために、このサクラソウの花は雄蕊《ゆうずい》の位置に上下があり、雌蕊《しずい》の花柱に長短を生じさせているのである。天然《てんねん》の細工《さいく》は流々《りゅうりゅう》、まことに巧妙《こうみょう》というべきではないか。こうなると他家結婚ができ、したがって強力な種子が生じ、子孫繁殖《しそんはんしょく》には最も有利である。
 植物でも自家受精、すなわち自家結婚だと自然種子が弱いので、そこで他家受精すなわち他家結婚して強壮《きょうそう》な種子を作ろうというのだ。植物でこんな工夫《くふう》をしているのはまことに感嘆《かんたん》に値《あたい》する。今それを人間にたとうれば、同族結婚を避《さ》けて他族結婚をしたこととなる。実際|縁《えん》の近い人同士の結婚はあまり有利でなく、これに反して縁の遠い人同士の結婚が有利である。それゆえイトコ同士の結婚などはあまり褒《ほ》むべきものではなく、強健《きょうけん》な子供を欲《ほ》しいと思えば、縁類でない他の家から嫁をもらうべきである。前述のとおりサクラソウでさえ、自家結婚を避けて他家結婚を歓迎《かんげい》しているではないか。言い古した言葉だが、「人にして草に如《し》かざるべけんや」である。
 日本にはサクラソウ属の種類がおよそ三十種ばかりもあるが、その中で一番りっぱで大きな形のものはクリンソウで、これは世界中でも有名なものである。温室内にあるサクラソウ類には中国産のものが多く、シナサクラソウ、オトメザク
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