である。

  朝鮮のワングルとカンエンガヤツリ

 カヤツリグサ科の中にカンエンガヤツリ(灌園蚊屋釣の意)という緑色一年生の大きなカヤツリグサ一種があって Cyperus Iwasakii Makino[#「Makino」は斜体] の学名を有する。これは岩崎灌園の著『本草図譜』巻之七にその図が出て、灌園はそれを「水莎草《すいしょうそう》(救荒本草 磚子苗注)水生のかやつりぐさなり苗葉三稜に似て陸生[牧野いう、陸生の意味分らぬ]より長大なり高さ三四尺武州不忍の池に多し」と書いている。ただしこれを単に名のみしか書いてない右『救荒本草』の水莎草にあてるのはじつによい加減な想像で、なんら信拠するに足らないものである。しかしそれはそれとして、とにかく灌園が初めてこの図を公にした功を称え、先きに上の記念学名を発表したゆえんである。
 このカンエンガヤツリは元来日本の植物ではなく、それは南鮮方面の原産である。同国ではこれを莞草《カンチョウ》、すなわちワングルまたはワンコル(Wangkul)と称え、人によってはタタミガヤツリの名をつくっている。これ筵席を織って経済的に利用している著明な草本で、京畿の江華、全南の宝城、慶北の金泉、軍威等はその名産地だといわれる。そして日本人間では右の筵席を一般に江華筵として知られていると村田|懋麿《しげまろ》氏の『土名対照鮮満植物字彙』(昭和七年1932発行)に出ている。同書ならびに大正十一年(1922)に朝鮮総督府学務局で発行になった森為三氏の『朝鮮植物名彙』にその学名をば Cyperus exaltatus Retz[#「Retz」は斜体]. としてあるが、それは確かに間違っている。
 日本、殊に東京付近では、折りにふれて時々このカンエンガヤツリが臨時に繁殖する面白い現象があることに留意すべきだ。すなわちそれは或るしばしの年間は繁殖していても、間もなくそこにそれが絶え、さらにまた突然と生えて繁茂している。そしてその繁殖場所はこれが水生植物であるがゆえに、いつも水の区で、すなわち池、濠あるいは河沿いの溜水池である。東京上野公園下の不忍池では往時から幾度もその繁殖の消長を繰り返している。上の灌園の文にも不忍池に生じていたことがあり、私も明治二十何年かに大いにそれが繁殖してヌマガヤツリ(Cyperus glomeratus L[#「L」は斜体].)と共に生えていて松田定久君と共に心ゆくまで採集したことがあったが、その時たまたまこれらの莎草科品の大当り年であった。その後同池ではあるいは生えあるいは消えその消長は常なかったが、大正十五年(1926)の秋にもまた大いに繁殖した。それを今は故人となった緒方|正資《まさすけ》君が、その年十一月発行の『植物研究雑誌』第三巻第十一号に「エヂプトノパピルスヲ想起セシムルくわんゑんがやつり」と題して写真入りで報じ「今年[大正十五年]東京上野公園下ノ不忍池ニ発生シタ灌園《クワンヱン》がやつりノ大群落ニ出会タ人ハ誰レカ歎声ヲ放タザルモノアリヤト問ヒタイ、蓋シ本年ハ不忍池ノ水ヲ乾カシタノデ池ノ中央部ノ方ガ浅クナツタ為メカ例年ハ池畔ニ僅ニ其形骸ヲ現ハスニ過ギザリシ此大莎草ガ池ノ真中ノ方マデ突進シテ蓮ノ中間ニ列ヲナシテ発生シテ居ルノハ実ニ偉観タルヲ失ハナイ、一体此灌園がやつりナルモノハ吾国ニ矢鱈ニ見付カルモノデハナイ現ニ不忍池ノモノモ年ニヨリテ隆替《リュウタイ》シ殆ンド其形ヲ認メザル年スラアル、而シテ朝鮮ニハ本植物(即チ莞草)ガ繁生シ此偉大(三乃至四尺)ナル茎ヲ以テ席ヲ織ルソウダ、ソコデ牧野先生ハ本植物ハ元来吾国ニハナク遠ク渡リ来ル水鳥ガ時々朝鮮辺カラ其実(極メテ砕小ナ大キサノモノデアル)ヲ持ツテ来ルノデハアルマイカト云フ想像説ヲサヘ吐カレツヽアル」と述べてある。
 また明治二十何年頃、東京麹町区三番町沿いの御濠にも一叢《ひとむら》大いに繁殖していたことがあって喜んで採集したが、その丈けはおよそ五尺ほどにも成長していた。また同じく明治二十年頃小岩村江戸川寄りの水沢地でも出会った。
 右のように本品はその生育場所に永続性がなく、そこに生えていたかと思うとその翌年は見られなくなるまぼろしガヤツリである。元来は一年生植物(annual)だが、それがあたかも多年生本(perennial)の如く意外に大形にかつ強壮に成長する。したがって果穂も大きく繁く、その小穂(spiculae)もじつに無数に出来ているから非常におびただしい実が稔る訳である。それゆえそれが豊産の翌年にはその場所の辺には大繁殖を見ねばならん理屈だ。が、しかしそううまくゆくこともあるにはあるが、また何かの原因でそうゆかないこともあるらしい。とにかくこのカヤツリ草は日本の土地に腰が据らないのが事実で、どうも縁がない。つまり居心地が悪く、ゆえにチョット一時寄留するに過ぎない草のようである。
 私の考えるところでは、何がその実を日本へ持って来るのかというと、風か、否な、それは疑いもなく水禽《ミズドリ》であろう。何んの水禽か。私は鳥類には全くの素人であるから分らんが、多分雁か、鴨などのような渡り鳥が秋の末にこのカヤツリ草の繁茂している朝鮮などの田甫で食物を漁さるとき、泥にまじったこの草の細かいその実すなわち種子様小堅果を偶然に脚へ着けるか、あるいは羽の間へはいったのをそのまま日本へ飛んできて、この地で新たに食物を求め捜がすとき、自然それを池などへ落すのである。そしてこの事実が始終繰り返されているのである。
 以上書いた事実は、従来まだ誰もが説破しなかったものであった。
 ついでに書いてみるが、上の岩崎灌園の『本草図譜』巻之七にはカヤツリグサ科植物が十一種載っている。先に大沼宏平君がその学名を校訂して刊行の『図譜』に書いているが、誤謬があるから今ここに右大沼君の校訂をさらに校訂してみよう。

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荊三稜《けいさんりょう》 みくり(和名鈔) ←(大沼是)
おほかやつり ←(大沼是)
莎草香付子《しょうそうこうぶし》 はますげ(本草和名) ←(大沼是)
一種 水莎草(救荒本草 磚子苗注) ←(大沼非、これはカンエンガヤツリだ)
一種 かやつりぐさ ←(大沼是)
一種 陸生云々 ←(大沼非、これはヒナガヤツリだ)
一種 苗葉云々 ←(大沼非、これはヌマガヤツリだ)
一種 水辺に生じ云々 ←(大沼非、これはタマガヤツリだ)
一種 苗小云々 ←(大沼非、これはアオガヤツリだ)
一種 かうげん ←(大沼是)
一種 苗小くして云々 ←(大沼是)
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 本書の植物につき大沼君の学名校訂には随分と間違いがある。この書をひもとく人は心すべきだ。

  無憂花

 無憂花と呼ぶ植物がある。この無憂花の名は無論仏教関係の方々には先刻御承知のはずだが、一般の人々には不慣な名であるので、したがってそれが何物であるのか、よく分らないでいることが多いと思う。しかしかの九条武子さんの著書の『無憂華』で世人は大分その無憂華の名を記憶したのだろう。
 この無憂花は無憂華とも無憂華樹《ムユウゲジュ》とも無憂樹とも称する有名なインドの花木であるが、またそれがマラッカならびにマレー諸島にも産する。マメ科の常磐木で Saraca indica L[#「L」は斜体]. の学名を有し、また Jonesia Asoka[#「Jonesia Asoka」は斜体] Roxb. の異名もある、そしてその俗名を Asoca Tree または Sorrow−less Tree(悲みのない樹の意)と呼ばれている。
『淵鑑類函《えんかんるいかん》』に『彙苑詳註《いえんしょうちゅう》』を引いて「無憂樹ハ女人之レニ触レバ花始テ開ク」(漢文)とある、また『飜訳名義集』には「阿輸迦[牧野いう、アソカ Asoca]ハ或ハ阿輸柯ト名ク、大論ニ無憂華樹ト翻ヘス、因果経ニ云ハク、二月八日ニ夫人毘藍尼園ニ住ミ、無憂華ヲ見テ右手ヲ挙テ摘ミ、右脇ヨリ出デタマヘリ」(漢文)とある。そしてこれを無憂樹と称するのは、釈迦が毘藍尼園の該樹下で誕生したとき、母子ともに何んの憂いもなかったので、そこで無憂樹といったとのことである。
 このアソカすなわち無憂花はカイトラ月の十三日(九月二十七日)ウラパジにおいて仏を礼拝するヒンヅー人にとって真に神聖なる樹である。この樹の花は四月五月の季間極めて美麗に咲き誇りかつその佳香が夜中でも薫じているので諸処の寺院ではそれを装飾花として仏前に供える。またその花は恋の象徴すなわちシムボルで、それを恋愛の神であるカーマ(Kama)に捧げられる。
 梵歌によれば、この樹の性質はなはだ敏感で、美人の手がそれに触れば、たちまち花がひらいてあたかも羞じらうように赤い色を呈するといわれている。前文にある「無憂樹ハ女人之レニ触レバ花始テ開ク」も蓋しこの意であろう。
 薬用方面ではその樹皮に多くタンニン酸が含まれ、種々に用いられるが、その中で土地の医者は子宮病の中で殊に月経過多を療するに用うることがある。また花は搗き砕いて水に交ぜ、出血赤痢を治すのに使用せられる。
 この樹は小木で直立し、枝は非常に多くて四方に拡がり常緑の繁葉婆娑として蔭をなしすこぶる美観を呈している。葉は短柄を有して枝に互生し、偶数羽状複葉で長さおよそ一尺ばかり、小葉は三ないし対をなし披針形で全辺、葉質硬く平滑で光沢がある。嫩葉は軟薄で紅色を呈し、葉緑を欠いでいて下垂しその観すこぶる面白味があり、ちょうど Amherstia nobilis Wall[#「Wall」は斜体].(マメ科、カザリバナ)Mesua ferrea L[#「L」は斜体].(オトギリソウ科、タガヤサン、鉄刀木?)Mangifera india L[#「L」は斜体].(ハゼノキ科、マンゴー、芒果)Polyalthia(バンレイシ科)等諸樹の嫩葉と同様である。花は一月から五月の間に開き佳香がある。多数の花が球形の繖房花を形成し、腋生しならびに枝頭に密集してひらき、初めは橙黄色だが次第に紅を潮しついに赤色に変じ一花叢のうち両色交ごも相雑わり、これが暗褐色の枝条ならびに深緑色な葉に映じて美麗な色采を見せている。その状チョット山丹花《サンダンカ》を見るようだ、そしてこの花満開の姿を望むと、植物界にはこれに超すものは無かろうと感ずる。
 花は小梗を具え、その梗頂、花に接して二片の葉状有色の苞があって心臓状円形を呈している。
 花には花冠がない、萼が花冠様を呈し、その下部は肉質で実せる筒をなし、その喉部に環状の密槽花盤があり、雄蕊も雌蕊もそこから出ている。舷部は漏斗状を呈して四深裂し、各片は広楕円形をなして平開している。
 雄蕊は通常七本で長く超出し小形の葯を着けている、雌蕊は一本でその長さ雄蕊と等しく、長い花柱の本に有柄の子房がある。
 莢果は長さ六寸ないし一尺ぐらいで少しく膨れ、長刀形で四ないし八顆の種子を容れている。そしてこの莢の未熟なときは肉質で赤色を呈している、種子は長楕円形で平扁、長さ一寸五分ばかりもある。
 この植物はインドの各地で種々な土言があるが、なかんずくベンガルではアソク、アソカといい、ボンベイではアショク、アソク、アソカ、ヤスンジと呼ばれる。梵語ではアショカ、カンカリ、カンケリ、ヴハンジュウ、ヴハンジュルドルマ、ヴィショカ、ヴィタショカと称えられる。

  アオツヅラフジ

 私は今植物学界の人々ならびにその他の人々に向かってアオツヅラフジの名を口にすることを止めよ! と絶叫するばかりでなく、それを止めるのが正道で、止めぬのは邪道であると公言することを憚らない。何んとなればツヅラフジ科の Cocculus trilobus DC[#「DC」は斜体].(=Cocclus Thunbergii[#「Cocclus Thunbergii」は斜体] DC.)は断じてアオツヅラフジではないからである。
 しからばそのアオツヅラフジとは一体どんな植物か、すなわちそれはアオカヅラ(『本草和名』、『本草類編』、『倭名類聚鈔』)、一
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