名アオツヅラ、一名アオツヅラフジ、一名ツヅラカヅラ、一名ツヅラフジ、一名ツヅラ、一名ツタノハカヅラであって普通にはツヅラフジと称える。すなわちこれを学名でいえば Sinomenium diversifolium Diels[#「Diels」は斜体] で、もとは Cocculus diversifolius[#「Cocculus diversifolius」は斜体] Miq. と名づけられたものだ。Menispermum acutum Thunb[#「Thunb」は斜体]. が多分この植物だろうと私も疾く独自に考えて Sinomenium acutum Makino[#「Makino」は斜体] として大正三年(1914)十二月東京帝室博物館刊行の『東京帝室博物館天産課日本植物|乾※[#「月+昔」、第3水準1−90−47]《かんさく》標本目録』でそう発表しておいたが、これに先だって Sinomenium acutum Rehd[#「Rehd」は斜体]. et Wils[#「et Wils」は斜体]. の名も公にせられた。しかし私の考えでは、右の Thunberg の記載したものが果たしてツヅラフジに相違ないか如何。今同氏の原記載文を精読してみてもどうも少々腑に落ちない点もあるので、これはどうしても Thunberg の原記載文を産んだ原標品を見ないと、確信をもってこれを裁断することは出来ないと思っている。
 今日植物界で Cocculus trilobus DC[#「DC」は斜体]. をアオツヅラフジと呼んでいる誤謬を世人に強いたのはかの小野蘭山であって、彼の著『本草綱目啓蒙』でそうした。全く蘭山が悪いので、どうも蘭山ともあろう大学者がツヅラフジの認識を誤っているとは盛名ある同先生にも似合わないことだ。そしてその当時から幾多の学者があってもその目は節穴同然で、誰もその非を唱えたものはなかったが、しかし一人紀州の畔田翠山《くろだすいざん》は偉い学者で、このツヅラフジをよく正解しこれを彼の著『古名録《こめいろく》』に書いて、その正しい名を世人におしえた。すなわちそれはカミエビであった。このカミエビは多分神※[#「くさかんむり/嬰」、第4水準2−87−16]※[#「くさかんむり/奧」、第4水準2−86−89]の意であろうと思うが、カミはあるいは別の意味かも知れない。ゆえに今日アオツヅラフジの名を誤称している人々は早速にそれをカミエビの名にかえて呼び、もって昨非を改め今是とすべきだ。重ねていうが、 Cocculus trilobus DC[#「DC」は斜体]. はアオツヅラフジではなくてカミエビである。そしてアオツヅラフジはまさにツヅラフジの名であることを牢記すべきである。
 蘭山は上に書いたように Cocculus trilobus DC[#「DC」は斜体]. の名を間違えてアオカヅラすなわちツヅラフジとしたので、蘭山はツヅラフジへ別に名をこしらえ新たにこれをオオツヅラフジといわねばならなかった。これはじつは屋上さらに屋を設くの愚を敢えてしたもので、畢竟このオオツヅラフジの名は全く不要な贅名である。何となればこのオオツヅラフジは取りも直さずツヅラフジそのものであるからである。世人はこのイキサツを知らないから蘭山の説に盲従してオオツヅラフジの名を呼んでいるが、このオオツヅラフジはツヅラフジでよいのである。つまり蘭山はツヅラフジを間違えそれをよく正解しておらず、その名を Cocculus trilobus DC[#「DC」は斜体]. のものだと思違いしていたのである。そして世人はその思違いの名を有難く頂戴していた、イヤいる訳だ。
 今これを分りやすくハッキリと書き分けてみれば次の通りとなる。
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○アオカヅラ、アオツヅラ、ツヅラカヅラ、ツヅラフジ、ツヅラ、ツタノハカヅラ、メクラブドウ、フソナ
Sinomenium diversifolium Diels[#「Diels」は斜体](=Sinomenium acutum[#「Sinomenium acutum」は斜体] Rehd. et Wils.)=Cocculus diversifolius[#「Cocculus diversifolius」は斜体] Miq.
これを漢防已《カンボウイ》にあてているが中《あた》らない。
○カミエビ、チンチンカヅラ、ピンピンカヅラ、メツブシカヅラ、ヤブカラシ(同名がある)、ハクサカヅラ、ウマノメ、ヤマカシ
Cocculus trilobus DC[#「DC」は斜体].(=Cocculus Thunbergii[#「Cocculus Thunbergii」は斜体] DC.)
これを木防已にあてているが中らない。
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 ついでに記してみるが、『本草綱目啓蒙』防已の条下に「今花戸ニ一種唐種漢防已ト呼ブ者アリ葉形オホツヅラフヂニ似テ薄ク色浅シ蒂モ微シク葉中ニヨル根ハ細ク色黄ニシテ内ニ白穰アリテ車輻解ヲナサズコノ草ハ諸州深山ニモアリ勢州ニテ、コウモリヅタト呼ビ越前ニテ、コツラフヂト云」との文があって、唐種漢防已とコウモリヅタ[牧野いう、コウモリカヅラのこと]とを同種だとしているのは誤りで、この二つは全然別種である。漢防已はけっして我が日本には産しないから右の『啓蒙』の記すところは全く間違っている。この『啓蒙』にはこんな誤謬が書中いたるところに見出さるるのは遺憾である。櫛をつくる材をモチノキ属のイヌツゲだとしているなどは中にもその誤りの大きなものであって、黄楊のツゲすなわちホンツゲが泣いていることが聞えんだろうか。

  ゴンズイ

 ミツバウツギ科の落葉小喬木にゴンズイという雑木があって山地の林樹にまじって生じ、枝に奇数羽状複葉を対生し一種の臭気を感ずる。秋にその※[#「くさかんむり/朔」、第3水準1−91−15]果《さくか》が二片に開裂するとその内面が赤色で美しく一、二の黒色種子が露われる。『本草綱目啓蒙』によればゴンズイのほかにキッネノチャブクロ、スズメノチャブクロ、ウメボシノキ、ツミクソノキ、ハゼナ、クロハゼ、ダンギナ、ハナナ、ダンギリ、タンギ、クロクサギ、ゴマノキの名がある。所によると、その嫩葉を食用にするのだがあまり美味なものではない。書物によるとゴンズイに権萃の当て字が書いてある。
 我国の本草学者はかつてこのゴンズイを中国の樗にあてていたが、それはもとより誤りであって、この樹の本当の漢名は野鴉椿である。しかし以前からこの樹をゴンズイと呼んでいる訳は別にどの書物にも書いてないようだが、それは私の考えるところではそうでないかと思われる。すなわちそれは前にこのゴンズイを樗にあててあって、その樗はいわゆる「樗櫟之材《ちょれきのざい》」で、この材は一向役に立たぬ樹であると評せられている。それでこれを樗であると思いこんだこの植物を役立たぬ樹すなわちゴンズイだと昔の人が名づけたのではなかったろうかと私は想像する。
 それでは役立たぬこの樹がどういう意味合いでゴンズイであると唱えられるのかというと、元来このゴンズイとは食料として余り役立たない魚であるので、その役立たぬ魚の名すなわちゴンズイを、役立たぬと思惟せられたこの樹に対して利用したのではないかと考える。そのゴンズイというのはどんな魚かと詮議してみると、それはゴンズイ科に属する小さい海魚で、細長い体は長さ数寸、口に八本の長い髭を具え、体の色は青黒くその両面に各二条の黄色縦線が頭から尾まで通っており、背鰭と胸鰭とに尖き刺があって、もしさされるとひどく疼むから人に嫌われるが、それでも浜の漁民は時に強いて食することがある。こんなに小さくてかつ無用な魚であるから昔から江戸の魚市場へは出さないので、この魚を一つに江戸見ずゴンズイと呼んだもんだ。国によってはまたクグあるいはググの方言もある。しかしゴンズイの語原は全く不明でその意味は判っていない。

  辛夷とコブシ、木蘭とモクレン

 古来どの学者でも辛夷《シンイ》をコブシであるとして疑わず涼しい顔をしており、また従来どんな学者でも木蘭《モクラン》をモクレンで候《そうろう》としてスマシこんでいるのは笑わせる。
 辛夷は中国特産植物専用の中国名すなわち漢名であって、一つに木筆とも称せられる。コブシ(Magnolia Kobus DC[#「DC」は斜体].)は日本の特産で全然中国にはない。中国にない植物に中国名のあろうはずがない。単にこの一事をもってみても我が日本産のコブシが中国植物の辛夷ではあり得ない理屈だ。そして右のように結論するのが理の当然で、これで古来永くズルズルと来ていたこの問題は潔よく解決した。そしてコブシはコブシであってけっしてこれを辛夷とは書くべからずだ。
 モクレン(Magnolia liliflora Desr[#「Desr」は斜体].)は昔中国から渡り来った落葉灌木性の庭園花木である。そしてこのモクレンの和名がもとは木蘭かあるいはその一名の木蓮から来たものであるとしても、それは無論名実を誤ったもので、中国の本当の木蘭そのものはけっしてこんな落葉灌木ではなく、この落葉灌木のモクレンこそこれが真の辛夷である。故にモクレンの漢名はまさに辛夷と書くべきであって、断じて木蘭と書くべきではないのである。繰り返していえばモクレンは辛夷、辛夷はモクレンであると心得るべきだ。
 従来日本の諸学者が辛夷をモクレンだと気づかなかった迂濶さにはじつに驚くのほかはない。例えば『秘伝花鏡』『八種画譜』の図を見ただけでもそれが直ぐに判かるのではないか。
 それでは木蘭とはどんなものか。それは中国の湖北省西方からいわゆる蜀《しょく》の地の四川省にかけて生ずる常緑の大喬木(高さ五、六丈)の名であって、蓮花のような美花を発らき蘭花のような佳香があるといわれる。その心材が黄色なので黄心樹[牧野いう、我国の学者はよい加減な想像でこれをオガタマノキと誤認している]の一名がある。そしてその材では舟がつくられ木蘭舟の語がある。鄭樵《ていしょう》の『通志略《つうしりゃく》』にはその書中の「昆蟲草木略」において「木蘭ハ林蘭ト曰ヒ杜蘭ト曰フ、皮ハ桂ニ似テ香シ、世ニ言フ、魯斑ガ木蘭舟ヲ刻ミ七里洲中ニ在り、今ニ至テ尚存スト凡詩詠ニ言フ所ノ木蘭舟ハ即チ此レナリ」(漢文)と記してある。この蘭は無論 Magnolia 属[#「属」に「ママ」の注記]の一種ではあるがその種名は私に未詳である。
 今上の説を一括して解りやすくその要領を述べてみれば次の通り。
 コブシ(Magnolia Kobus DC[#「DC」は斜体].)は日本の特産で、中国にはない落葉喬木である。そして全然漢名はないから、これを辛夷というのは絶対に間違っている。
 モクレン(Magnolia liliflora Desr[#「Desr」は斜体].)は中国の特産で、辛夷がまさにその名である。落葉灌木で庭園の鑑賞植物である。そしてこれはけっして木蘭ではない。
 木蘭(Magnolia sp.)はこれまた中国の特産で、高さ数仭に達する常緑の大喬木である。そしてもとより和名はない。

  万年芝

 今日はかつて昭和九年(1934)六月発行の雑誌『本草』第二十二号に発表せる左の拙文「万年芝の一瞥」を図とともに転載するために筆をとった。

   万年芝の一瞥

 マンネンタケはいわゆる芝すなわち霊芝《レイシ》の一つで、菌類中担子菌門の多孔菌科に属し Fomes japonica Fr[#「Fr」は斜体]. の学名を有するものである。これはその菌蓋《カサ》普通はその柄がその蓋の一方辺縁の所に着いているが、その多数の中にはその柄が菌蓋の裏面正中に着いて正しい楯形を呈するものが珍らしくない。そしてこの楯形品と普通品との間にはその中間型のものを見ることけっして珍らしい現われではない。私は今このような種々の型の標品を所蔵しているが、これはかつて常州の筑波山の売店で多数これを買いこんで来たものである。また私は幾年か前に
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