としてはどこを利用するのかというと、その嫩かい実とその嫩かい葉とその嫩かい皮とである。
実は花に次いでその枝上にあたかも串に刺したように無数になる。円形の翅果で、中央にある小さい堅果の周囲に薄い翅翼がある。初めは緑色で軟かく、それを採って煮て食する。私も昭和十六年(1941)に八十歳で満州へ行った時、五月にこれを大連市壱岐町三番地福本順三郎君(大連税関長)の邸で味ってみたが、あまり美味しいものではなかった。楡はこのように円い銭形をしたいわゆる楡莢《ゆきょう》を生じ、俗にこれを楡銭《ゆぜん》と呼ぶので楡銭樹ともいわれる。
この実は熟すると早くも枝から落ちてしまう。そして新芽の葉もゆでれば食べられる。またこの樹の白色で軟かい生まの内皮を掻き取り食用にするのだが、それは粘滑質で餅などに入れて食する、いわゆる楡皮である。またこの内皮を取って乾燥して磨して白い粉となし楡麺《ゆめん》に製し食べるものがいわゆる楡白粉である。
この楡はニレ科で俗に Siberian Elm と呼ばれ、その学名は Ulmus pumila L[#「L」は斜体]. である。この種名の pumila とは矮小ナあるいは細小ナ意味の語であるが、しかし元来この樹は高大なものであるにかかわらず、こんな学名がついたのは、それがシベリアからの灌木状のものであったので、その命名者がこんな種名を用いたゆえんであったのであろう。
楡の和名はノニレといわれる。すなわち野楡の意味である。満州ではこの樹は平地に生じ人家の辺に茂っていて普通に見られるところから、またこれを家楡《ヤユ》とも呼ぶ。冬になれば落葉し、夏は緑葉で樹蔭をなしているが、しかしこれがあんまりうっそうと繁りすぎると、天日を蔽うてその光りと熱とを遮ぎり、その樹下では、とうてい作物が出来ないから五穀などを栽えることがない。
日本の学者は昔、楡が我国にもあるとして、それに対しヤニレまたはイエニレという和名をつけていたが、これは楡が人家近くにあって一つに家楡とも呼ばれるという中国の書物の記述を見て、名づけたものであることが推想せられる。しかしこれは日本産のニレすなわちハルニレ(Ulmus japonica Sarg[#「Sarg」は斜体].=Ulmus campestris[#「Ulmus campestris」は斜体] Sm. var[#「var」は斜体]. japonica[#「japonica」は斜体] Rehd.=Japanese Elm)を楡であると誤認して名づけたものである。そして楡の本物は、もとより日本には産しないこと上述の通りである。
上の和名のヤニレならびにイエニレは古名だが、またニレともネレともネリともさらにハルニレとも呼ばれる。ニレとは元来|滑《ヌレ》の意で、その樹の内皮が粘滑であるからかくいわれる。そして右古名のヤニレだが、これは書物に脂滑《ヤニヌレ》だともっともらしく書いてあるが、私はそれに賛成せず、これは家ニレの意だと解している。そして同じく古名のイエニレは家ニレだ。
周定王《しゅうていおう》の『救荒本草《きゅうこうほんぞう》』には救荒食の樹として、中国式な楡銭樹の図が出ている。
楡と同属の樹に蕪※[#「くさかんむり/(夷-十)」、231-11]《ブイ》というのがあって Ulmus macrocarpa Hance[#「Hance」は斜体] の学名を有し、その実を蕪※[#「くさかんむり/(夷-十)」、231-11]仁と号して薬用に供し、すこぶる臭気がある。この実の味がやや苦いので古人が和名としてニガニレの称えを与えている。『倭名類聚鈔《わみょうるいじゅしょう》』にこれを和名比木佐久良(ヒキサクラ)と書いてあるが、なぜそういったのか今その意味は分らない。
シソのタネ、エゴマのタネ
シソ(紫蘇、または蘇)のタネ、エゴマ(荏)のタネと俗に呼んでいるものはじつは純然たる種子ではなく、純種子を含んだ果実である。植物学者はそんなことは朝飯前に知っているが、普通の人々には、それが分かるまい。あの小さい種子らしい粒を見て種子であると思うのは無理もない。
このシソあるいはエゴマの種子だと見えるものは、じつはその果実の四つに割れた一部分で、初めそれが宿存萼の奥底に鎮座しているのだが、熟するとばらばらの四粒となって萼内からこぼれ落ちるのである。そしてその円い球形の粒の表面には皺がある。この粒の中に本当の種子が一個ずつ入っている。そしてその粒は割れないから、その中の種子は外から見えない。
このシソならびにエゴマの子房は、元来合体した二心皮から出来ており、それが縊れて二つになり、両方の各心皮の中に二個の卵子があるから、つまり一子房には四つの卵子がある訳だ。そしてこの一子房を形成せる二心皮が再び二つに縊れていて、その両方に各一個ずつの卵子がある。今これを上から見ると、そこに四つの体《からだ》をなして行儀よく並んでいる。
右の子房が熟すると、元来は果実分類上の※[#「くさかんむり/朔」、第3水準1-91-15]となる。そしてその四分体、その内部に各一個の種子を含んだ四分体がばらばらになって宿存萼の底から出て来て地面に落ちる。すなわちこの四分体がいわゆるシソのタネ、エゴマのタネである。植物学者はこの種子様のものを小痩果(Nucule)あるいは小堅果(Nutlet)といっている。
シソもエゴマも元来は同種異品のものであるが、その用途は違っている。すなわち紫蘇は西洋ではその葉の紫色を愛でて観葉植物となっているが、日本ではよい香のあるその葉がアオジソとともに香味料食品となっている。エゴマ(荏)はそのタネから搾った油を荏の油と称し、合羽、傘などに使用し、また食料とすることもある。しかし胡麻のタネは本当の純種子である、そしてゴマには通常黒ゴマ、白ゴマ、金ゴマがある。
麝香草の香い
諸地の山中にはジャコウソウと称する宿根草があって、クチビルバナ科に属し、夏に淡紅紫色の大形の唇形花を茎梢葉腋の短き聚繖梗にひらき、茎は叢生直立し方形で高さ三尺内外もあり、葉は闊《ひろ》くして尖り対生する。その学名を Chelonopsis moschata Miq[#「Miq」は斜体]. と称する。
小野蘭山の口授した『本草記聞《ほんぞうきぶん》』芳草類、薫草(零陵香)の条下に「サテ此ノ本条[牧野いう、薫草零陵香を指す]ノコト前方ヨリ山海経ノ説ニヨリテ麝香草ヲ当ツ、ソレモトクト当ラズ、是モ貴船ニ多シ宿根ヨリ生ズ一名ワレモカウ(地楡又萱ノ類ニ同名アリ)苗ノ高サ一尺五六寸斗紫茎胡麻葉ニ似タリ葉末広シ細長クアラキ鋸歯アリ方茎対生八九月頃葉間ヨリ一寸程ノ花下垂シテ生ズ薄紫也一茎ニ一輪胡麻ノ花形ニ似テ大也桐ノ花ヨリ小也花※[#「くさかんむり/亭」、第4水準2-86-48]余程大ナル鈴ノ形也夢溪筆談ニモ鈴子香鈴々香ノ一名アリ花ノ形ニヨリテ名ヅクル也鈴子ノアルヲ択ムベシトアリ風ニツレテ麝香ノ匂ヒアリ、チギリテハ却テ臭気アリ時珍ノ説ノ如ク土零陵香ニ当ルヨシ」と述べ、また蘭山の『本草綱目啓蒙』巻之十、芳草類の薫草零陵香の条下には「又山海経ノ薫草ヲジヤカウサウニ充ル古説ハ穏カナラズ、ジヤカウサウハ生ノ時苗葉ヲ撼動スレバ其気麝香ノ如シ葉ヲ揉或ハ乾セバ香気ナシ漢名彙宛詳註ノ麝草ニ近シ」と書いてある。
同じく小野蘭山口授の『本草|訳説《やくせつ》』(内題は『本草綱目訳説』)には「恕菴《じょあん》[牧野いう、松岡恕菴]先生秘説(蘭品)ニハ山海経ノ薫草ヲ和ニ麝香草ト称ルモノニ充ツ未的切ナラズ麝香草ハ生ニテ動揺スレバ香気アリ乾セバ香気ナシ漢名麝草(王氏彙宛)」と出ている。
実際この草は麝香の香いがすると誇りやかに言い得るほどのものではない。それが多数生えている所に行きその苗葉を揺さぶり動かすと、じつに微々彷彿としてただ僅かに麝香の香いの気がするかのように感ずる程度にすぎなく、ジャコウソウという名を堂々とその草に負わすだけの資質はない。『花彙《かい》』のジャコウソウの文中にはこれを誇張して述べ「茎葉ヲ採リ遠ク払ヘバ暗ニ香気馥郁タリ宛モ当門子《ジャカウ》ノ如シ親シク搓揉《モム》スレバ却テ草気《アヲクサシ》アリ」と書いてある。
この植物について研究したミケル(Miquel)氏は、これを新属のものとして Chelonopsis(Chelone 属[#「属」に「ママ」の注記]すなわち亀頭バナ属に似たる意)属を建て、そして Chelonopsis moschata Miq[#「Miq」は斜体]. の新学名を設けた。この種名の moschata は麝香ノ香気アルの意で、その事に触れれば麝香の香いがする(attactu odori moschati)という事柄に基づいてこれを用いた訳だ。日本にはこのジャコウソウの品種が三つあって、それはジャコウソウ、タニジャコウソウ(Chelonopsis longipes Makino[#「Makino」は斜体])、アシタカジャコウソウ(Chelonopsis Yagiharana His[#「His」は斜体]. et Mat[#「et Mat」は斜体].)である。
右ジャコウソウ属すなわちミケル氏のつけた Chelonopsis の名称を誘致した北米産 Chelone 属[#「属」に「ママ」の注記](亀頭バナ属、亀頭は花冠の状に由る)には属中に Chelone Lyonii Pursh[#「Pursh」は斜体].(ジャコウソウモドキ)と Chelone glabra L[#「L」は斜体]. と Chelone obliqua L[#「L」は斜体]. があるが、ともに西半球北米の地に花さく宿根草である。そして右ジャコウソウモドキは園芸植物となって我国にも来り、時々市中の花店へ切り花として出ていた。石井勇義君の『原色園芸植物図譜』にはその原色図版がある。
上の『山海経《せんがいきょう》』にある薫草は、蓋し零陵香の一名なる薫草と同じものであろう。またこれは※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1-91-24]草ともいわれる、すなわちクチビルバナ科のカミメボウキ(神眼箒の意)で Ocimum sanctum L[#「L」は斜体]. の学名を有し、メボウキすなわち Ocimum Bacilicum L[#「L」は斜体]. と姉妹品である。
[#「ジャコウソウ(Chelonopsis moschata Miq[#「Miq」は斜体].)写生の名手|関根雲停《せきねうんてい》筆、牧野結網《まきのけつもう》修正」のキャプション付きの図(fig46820_30.png)入る]
狐ノ剃刀
キツネノカミソリ、それは面白い名である。狐も時には鬚でも剃っておめかしをするとみえる。それからこのコンコンサマが口から火を吹き出すこともあれば、また美女に化けて人を誑かすという段取りになるのだが舞台が違うからここでは省略だ。
このキツネノカミソリはヒガンバナ科(マンジュシャゲ科、石蒜科)のいわゆる球根草で、日本国中諸所の林下に生じ、秋八月から九月にかけて柑赤色の花が二、三輪独茎の頂に咲く。誰もこれを庭に植える人はないが、しかしそう見限ったもんでもない。学名を Lycoris sanguinea Maxim[#「Maxim」は斜体]. というのだが、この種名の Sanguinea は血赤色の意で、その花色に基づいたものである。
この属すなわち Lycoris 属[#「属」に「ママ」の注記]には日本に五種があって、その一は右のキツネノカミソリ、その二は桃色の花が咲き属中で一番大きなナツズイセン、その三は黄花の咲くショウキラン、その四は赤花が咲き最も普通でまた多量にはえているヒガンバナ一名マンジュシャゲ、その五は白色あるいは帯黄白色の花が咲きヒガンバナとショウキランとの間の子だと私の推定するシロバナマンジュシャゲである。今日までまだ純粋の白色ヒガンバナを得ないのが残念であるが、しかしこれはどこかにあるような気がする、というのは数年前
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