花アリ花鏡ノ万寿菊ニ充ベシ」とある。
『大和本草』にはまた紅|黄《オウ》草が蛮種として出ていて「六七月ニ黄花ヲ開ク或曰サンハ丁子ハ此千葉ナリト云花色紅黄二種アリ」と述べてある。
 右紅黄草について『大和本草批正』には「紅黄草 今誤テホウホウソウト云マンジュギクト葉同シテ小サシ茎弱シテツルノ如ク直立スルコトアタワズ花五弁ニシテ厚シ内黄ニシテ外赤シ故ニ紅黄草ト云紅黄草二種アル故ト云ハ誤ナリ花鏡ノ藤菊又棚菊是ナリ」とある。
 上の『大和本草批正』に引用してある万寿菊について『秘伝花鏡《ひでんかきょう》』の文を抄出すれば万寿菊については「万寿菊、根ヨリ発セズ、春間ニ子《タネ》ヲ下ス、花開テ黄金色、繋テ且ツ久シ、性極テ肥ヲ喜《コノ》ム」であるが、『秘伝花鏡』にあるという藤菊を私はどうしても同書に見出し得ない。
 さて右の三波丁子はなんの植物であるのかというと、それは上の『大和本草批正』にあるようにセンジュギクというキク科の一年生植物で、一つにテンリンカとも称しその学名は Tagetes erecta L[#「L」は斜体]. である。すなわちこれはメキシコ原産の花草で、早くから我国に渡来し、ひいて今日でも国内諸所の花園ならびに人家の庭で見られるが、その葉にも花にも茎にも厭うべき一種の臭気がある。園芸的に改良せられた種類にはその頭状花が大きくかつ八重咲で、多くは黄色あるいは柑色を呈し見事である。そしてこの花草は俗にアフリカン・マリゴールドと呼ばれる。
 上の紅黄草すなわちコウオウソウも同属の花草で、草体センジュギクよりは小さく、花が通常一重咲きで多く着き可憐な姿である。これも諸所で見られるがよく公園の花壇に栽えられてある。一つにクジャクソウ(孔雀草の意)と呼ばれ、その学名は Tagetes patula L[#「L」は斜体]. である。本品もまたメキシコの原産で俗にフレンチ・マリゴールドと呼ばれる。
 この二つの草は飯沼慾斎《いいぬまよくさい》の『草木図説』巻之十七にその図説がある。コウオウソウの方は『大和本草』にも図があって「黄花形如[#二]石竹[#(ノ)][#一]五月[#(ニ)]開[#レ]花[#(ヲ)]葉[#(ハ)]如[#(シ)][#二]野※[#「くさかんむり/宛」、第3水準1−90−92]豆[#(ノ)][#一]」と書いてある。近代の書物では石井勇義君の『原色園芸植物図譜』第一巻(1930)に美麗に著われた原色写真が出ている。
 安永五年(1776)に刊行せられた松平君山の『本草正譌《ほんぞうせいか》』には「万寿菊、単葉重葉アリ俗ニ単葉ノモノヲ天林花ト云ヒ重葉ノモノヲ満州菊ト云フ万寿菊ノ訛ナリ」と書いてある。

  サネカズラ

『後撰集』の中の恋歌に三条右大臣の詠んだ「名にしおはゞあふ坂山のさねかづら人に知られで来るよしもがな」というのがあって人口に膾炙している。そしてこの逢坂山(昔は相坂《あうさか》とも合坂《あうさか》とも書いた)は元来山城と近江との界にあって東海道筋に当り、有名な坂で昔の関所の旧跡であるが今日では近江分になっている。そのかみここに蝉丸という盲人が草庵を結んで住み、かの有名な「これやこの行も返るも別れつヽ知るも知らぬも逢坂の関」という歌を詠んだということが言い伝えられている。
 さて上の歌に詠みこまれてあるサネカズラとは一体どんなものか。すなわちこのサネカズラは実蔓《サネカズラ》の意でその実が目だって美麗で著しいから、それでこのような名で呼ばれるようになったのだ。その実の形はちょうど彼の生菓子のカノコに似て、その赤い実が秋から冬へかけその長梗で蔓から葉間に垂れ下がっている風情、なかなかもって趣きのある姿である。これが時に岡の小藪で落葉した雑樹に懸って見られるが、また往々その常緑葉を着けた蔓をまといつかせて里の人家の生籬につくられ、そこを覗いてみるとよくその赤い実が緑葉の間に隠見している。
 この実は雌花中の雌蕊の花托軸が膨らんで球形となり、その球面に多数の子房の成熟して赤色をなせる球形多汁の漿果が付着しているのである。そしてこの蔓の枝に雄花と雌花とが出てその花は黄色を呈している。蔓は右巻きの褐色藤本で、そのよく成長したものは根元の太さ周囲九寸、根元から一尺五寸許り上の所で周囲五寸六分のものがあった。その外皮は軟質のコルク層がよく発達し手障りが柔らかく、かつ蔓面は縦に溝が出来て溝と溝との間が畦となっている。
 このサネカズラは昔それをサナカズラといったとある。そしてその語原は滑《ナメ》りカズラの意で、サは発語、ナは滑りであるといわれ、このサナカズラが音転してサネカズラとなったとのことであるが、私はその解釈がはなはだややこしく、かつむつかしく、そしてシックリ頭に来なく感ずる。しかしそうするとサネカズラの語原が二つになって、始めに既に書いたように、その一は実《サネ》を原とする語原、その二はサナカズラを原とする語原となる。今私の知識から妄りに考えた愚説では、それは恐らくサネカズラが古今を通じた名であって、それがナニヌネの五音相通ずる音便によって昔どこかでサナカズラと呼んでいたのではなかったろうかと推量の出来ないこともあるまいように感ずる。宗碩《そうせき》の『藻塩草《もしおぐさ》』「さね木の花」(サネカズラの事)の条下に「さねきさなき同事也」と書いてある。
 サネカズラには美男蔓《ビナンカズラ》の名がある。これにこんな名のあるのはその嫩の枝蔓の内皮が粘るから、その粘汁を水に浸出せしめて頭髪を梳ずるに利用したからである。これは無論女が主もにそうしたろうから、美女蔓の名もありそうなもんだがそんな名はなく、美人ソウの名のみがある。市中の店にビナンカズラと称えて木材を薄片にしたものを売っていたが、これは多分中国から来たもので同国でいう鉋花であろう。すなわちクス科タブノキ属 Machilus の一種で中国に産する多分|楠《ナン》(クスノキではない)すなわち Machilus Nanmu Hemsl[#「Hemsl」は斜体].(今は Phoebe Nanmu Gamble[#「Gamble」は斜体])ではなかろうか。そしてこの樹は日本には産しない。しかしタブノキの材を代用すれば多少は効力がありわせぬか、このタブノキの葉は粘質性でそれを利用して線香を固める。
 上のサネカズラの和名のほかに、この植物には上に書いたビナンカズラとビンツケカズラ、トロロカズラ、フノリ、フノリカズラ、ビナンセキ、ビジンソウなどの称えがある。江州ではこの実の球をサルノコシカケと呼ぶとのことだ。それはブラブラと下がっているその球へ猿が来て腰を掛けるとの意であろうが、それはすこぶる滑稽味を帯びてその着想が面白い。
 このサネカズラの属名を Kadsura と称するが、これは西暦一七一三年に刊行せられたケンフェル(Kaempfer)氏の著『海外奇聞』(Amoenitatum Exoticarum)に Sane Kadsura(サネカズラ)とあるのから採ったもので、これへズナル(Dunal)氏が japonica なる種名をつけて Kadsura japonica Dunal[#「Dunal」は斜体] の学名をつくったものだ。
 従来我国の学者はサネカズラを南五味子といっているが適中していなく、これは Kadsura chinensis Hance[#「Hance」は斜体] を指しているのである。また古くはこのサネカズラを五味子とも称えているが、これも無論誤りである。そしてこの五味子はチョウセンゴミシ(朝鮮五味子の意)で Schizandra chinensis Baill[#「Baill」は斜体]. の学名を有するものである。これはただ朝鮮ばかりではなく我国にも自生がある。例えば富士山の北麓の裾野には殊に多い場所がある。
 玄及《ゲンキュウ》という漢名は五味子(チョウセンゴミシ)の一名であるから、これを『倭漢三才図会』、『訓蒙図彙《きんもうずい》』にあるようにサネカズラにあてるは非である。すなわち玄及はまさにチョウセンゴミシである。

  桜桃

 桜桃は中国の特産で日本にはない(栽植品は別として)一つの果樹であって花木ではない。ゆえにこれを我国のサクラにあてるのは誤りであるにかかわらず、往時の学者はそうしていた。サクラは果樹ではないからこの点でもこれがサクラでないことが分かるではないか。そしてこの中国の桜桃はその花は大して観るには足りないが、しかしその実が赤く熟して食用になる。ゆえに『本草綱目』などではそれを果部へ入れてある。日本ではこれを支那実《シナミ》ザクラと呼んでいる。
 桜桃の実は円くて瓔珞《ようらく》の珠のようだからというので、それで初めは桜といったが、後ちにそれが桜桃となった。また※[#「嬰」の「女」に代えて「鳥」、219−13]桜とも書かれているが、それは※[#「嬰」の「女」に代えて「鳥」、219−13]という鳥がその実を食うからだといわれる。桃はただの意味でそれに付け加えたものである。
 右によれば、桜桃はすなわち桜である。桜桃は支那実ザクラであるから、したがって桜もまた支那実ザクラであらねばならない理屈だのに、これを我国人が日本のサクラの名だとしているのは大変な間違いである。そして元来日本のサクラは日本の特産であるからもとより漢名すなわち中国名はないはずだ。ゆえに日本のサクラは仮名でサクラと書くよりほかに書きようはなく、またサクラを桜と書くのは反則だ。
 桜桃は小樹であるが、しかし相当大きくなるものもあるようだけれども、もとより我国のサクラのように大木にはならない。それでも中国人はその花下で花を観ることもあるらしく、詩にも出ている。それはちょうど木の大きさの似ている京都|御室《おむろ》のサクラの下でその花を賞し楽しむと同趣である。
 西洋、特に欧州産の Sweet Cherry(学名は Prunus avium L[#「L」は斜体].)の樹が近来山形県下などで大変によく成長して、その実がその季節にはおびただしく枝になって、東京の市場へも沢山出て来てこれをオウトウと呼んでいる。この名は疑いもなく桜桃から出たものであるから、じつはこのサクラン坊をオウトウと呼ぶのは無論間違っている。にもかかわらず今はそれが通名のようになっていて訂正しようもないのは残念だけれど、この滔々たる勢いにはまことに致し方もなく、この訂正をようしない園芸界の人々に科学的の頭のないのを憐れに思っている。畢竟これは以前にオウトウといえと指導した業者、園芸家ならびに学者の罪である。すなわちこれらの人々が集まって会議しその名をかく呼ぶように仕向けたのは、全く自分達の無学無識ぶりを遺憾なく発揮していて、そして名称を間違えるのは文化の恥だということを悟らないのだ。今日植物学界では支那実ザクラの桜桃に対して、この西洋の Sweet Cherry を西洋実《セイヨウミ》ザクラと呼んでいる。そしてこの二つを総称したものがすなわち実《ミ》ザクラである。
 世間の英和辞書ではよく Cherry をサクラと訳してあるがこれはあたっていなく、これは宜しく西洋実ザクラとすべきである。そして日本のサクラを表わさんとすれば、これを Japanese Flowering Cherry とせねばならない。

  種子から生えた孟宗竹

 種子からはえたモウソウチク(Phyllostachys edulis Carr[#「Carr」は斜体].)の竹藪すなわち竹林があったら極めて珍らしいが、現にそれがあるのだからやっぱりそれは珍らしい。見たかったら見せてもらいに行けば喜んで見せてくれるだろう。すなわちそれは武蔵の国都筑郡新治村字中山(今は横浜市港北区新治町中山となっている)の斎藤|易《えき》君の邸内にある。
 この記念すべき実生モウソウチク林は大正元年(1912)に実《み》すなわち穀粒を播いてはやしたものだが、次第に生長繁茂して今日にいたったので、今はまことに立派なモウソウ藪となっている。そしてこの藪は約一
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