『本草和名《ほんぞうわみょう》』に出で須呂乃岐と書いてある。これは日本の特産ではあるが今日ではその純野生は見られないが、しかし昔はあったものと思われる。そしてその繁殖の中心地はまさに九州であったであろうと信ずべき理由がある。
日本シュロすなわちいわゆる和ジュロの学名は Trachycarpus excelsa Wendl[#「Wendl」は斜体].(=Chamaeropus excelsa[#「Chamaeropus excelsa」は斜体] Thunb.)であるが、中国の椶櫚の学名は Trachycarpus Fortunei Wendl[#「Wendl」は斜体].(=Chamaeropus Fortunei[#「Chamaeropus Fortunei」は斜体] Hook. fil.)である。私は先きにこの二つを研究した結果、これを同一種すなわち同スペシーズであると鑑定し、この中国の椶櫚を日本シュロの一変種と認め、その学名を改訂しこれを Trachycarpus excelsa Wendl[#「Wendl」は斜体]. var. Fortunei Makino[#「Makino」は斜体] として発表したが、これは北米 L. H. Bailey 氏の支持を得て、同氏の Manual of Cultivated Plants(1924)にもそう出ている。そしてこれがいわゆるトウジュロ(唐椶櫚の意)であって、今日本の庭園でも見られるが、それは前に中国から渡来したものである。そして中国には日本のシュロはない。
椶櫚は元来中国産なる右のトウジュロそのものの名であるから、厳格にいえばこれを日本のシュロの名として用いるのはもとより正しくない。そして日本のシュロには漢名はない訳だ。日本のシュロの名はもとは椶櫚の字面から出たものであるが、無論椶櫚そのものではない。
日本のシュロは和ジュロと称え、上に書いたようにこれを唐ジュロと区別する。今これをトウジュロに比べればワジュロは稈の丈け高く、葉は大にしてそのよく成長したものは、その葉面の長さ六七センチメートル、横幅一〇一センチメートル、裂片の広さ四四ミリメートルに達することがある。そしてその裂片は多少ふるくなったものは途中から下方に折れて垂れる特徴があるが、トウジュロの方は一体にワジュロよりは小形で、葉の裂片はいつもツンとしていて折れ垂れることがない。ここに誰も気のつかなかったことで津山尚《つやまたかし》博士が示さるるところによれば、トウジュロの葉の背面基部に針のような二本の付飾物が生じて葉に沿って存在している事実であるが、ワジュロの方にはそんなことは絶えてない。そしてこの事実は全く津山君の発見である。
蜜柑の毛、バナナの皮
蜜柑《ミカン》の実にもし毛が生えてなかったら、食えるものにはならず、果実として全く無価値におわる運命にある。毛があればこその蜜柑である。この毛の貴ときこと遠く宝玉も及ばない。皆の衆毛を拝め、蜜柑の毛を。
花の時ミカンの子房を横断して検してみると、それが数室になっており、その各室内には嫩い卵子《オヴュール》(これを胚珠というのは誤りで nucellus こそ胚珠である、珠心は無益不用な訳語である)があるのみで、他にはそこに何物もない。花がおわるとその子房は日を経るままに段々とその大きさを増すのだが、花後直ぐにその室の外側の壁面から単細胞の毛が多数に生えて出て来、子房の増大とともにこの毛もともに生長して間もなく室内を填充しかつその大きさをも加える。この果実が熟する頃にはそのミカンの嚢《ふくろ》一杯になっている毛の中に含まれた細胞液が酸化し甘くなり、そこで食われ得るミカンとなるのである。つまり毛の中の細胞液を吾らは賞味しているのである。
ミカンの皮は外果皮、中果皮、内果皮の三層からなっているが、その外果皮には多数の油点がある。中果皮は外果皮に連なり粗鬆質である。内果皮は薄いけれども組織が緊密で、いわゆるミカンの嚢の外膜をなしている。そして互に連続せずに嚢に従って切れている。その質が堅くかつ嚢の外方壁となっているので、ミカンを剥げば融合連着している外果皮、中果皮がいわゆる蜜柑の皮となり、ひとり内果皮を残して剥がれるのである。
バナナ(すなわち Banana これは西インド語の Bonana から出ている)の食う部分はその皮であって、すなわちその中果皮と内果皮とを食っているのである。外果皮は繊維質になっているのでこれを剥げばその内部の細胞質の中果皮と内果皮とから離れる。ゆえに俗にこれはバナナの皮だといっている。この中果皮と内果皮とは互いに一つに融合しておってこの部が食用となるのである。そしてバナナは変形してたとえ種子の痕跡はあっても種子が出来ないから食うには都合がよい。植物学的にいえばバナナは下位子房からなっているから、その食う部分は茎からなっている花托であるといえる。ゆえにバナナはつまるところ茎を食っているとの結論に達する訳だ。
オランダイチゴの食う部分は花托だから、じつをいえば変形せる茎を食っているのである。その粒のような本当の果実は犠牲となりお供して一緒に口へはいるのである。果実の食う部分を注意して見るとなかなか興味がある。上位子房からの果実よりは下位子房からの果実には種々面白味が多い。
梨《ナシ》、苹果《リンゴ》、胡瓜《キュウリ》、西瓜《スイカ》等の子房
ナシ、リンゴ、キュウリ、スイカなどはみな植物学上でいう下位子房(Inferior ovary)を持っていて、その子房が成熟して果実となっている。ゆえにその果実はウメ、モモ、カキ、ミカン、ブドウ、ナスビなどのように純粋な果皮を持った果実とは違って、その子房は他の助けを借りてそれと仲よく合体したものである。つまり瘤付きである。ゆえにその果実の内部の中央の方は本当の子房からなっているが、外側の方はその付属物である。そしてその食える部分はすなわちこの付属物であって、中央の子房はキュウリ、スイカなどは軟くて全部一緒に食えるが、ナシ、リンゴなどは食うにしてもそれが食えないのである。
これらナシ、リンゴ、キュウリ、スイカなどの実は、上述の通り下位子房で成ったもんだからその周囲を花托で取り巻き、それが中の子房に合体している。そしてその花托は茎の先端であるから、ナシ、リンゴなどの食う部分は、つまるところこの茎であると結論せねばならん理屈だ。
学校で植物学を学んだ人達はこんな事柄はすでに承知している筈だろうから、今さら私が上のようなことを喋べると、時世おくれだと笑われるかも知れんが、しかし今世間でナシ、リンゴ、スイカ、カボチャなどを食う大人達、婦人連が果たしてこんな事実を先刻御承知かどうか、どうもそこまで一般が科学的になってはいないような感じがする。
グミの実
グミの類の花を見ると、花の下に子房のように見えるものがあるので、チョットそこに下位子房があると感ずるのだが、じつはそれは子房ではないのである。すなわちその子房らしいところは花の顔すなわち花被になっている萼《がく》の下に続く部の括びれたところで、それはやや質の厚い筒をなした花托なのである。すなわちそこが素人には子房のように見え、グミの花は下位子房があると誤認せられるゆえんである。
植物分類学を学んだ人は、その真相がチャント分っているから問題はないが、今素人やお子さん達のために一応それを説明してみよう。
グミの花は筒をなした萼から出来ていて、それに一花柱ある子房と四つの雄蕊《ゆうずい》とが副うて一個の花を組み立っている。すなわちその萼は筒を成していて口部すなわちいわゆる舷部(Limb)が四片に分裂している。そしてその分裂片はその二片が外となり他の二片が内となって、いわゆる植物学上でいう覆瓦襞《ふがへき》を呈している。萼の筒部の本の方は括びれて小形となっているが、その部は花托である。その花托の頂が萼筒内での蜜槽となり来客として来る昆虫のため、すなわち我が花粉を柱頭に伝えて媒介してくれる昆虫のために御馳走として蜜液を分泌する。そしてその括びれの筒内に一つの子房がその花托筒に囲まれて立っており、それはけっして花托に合着していなく全くフリーである。この子房の上端には長い花柱があって萼の口まで延《およ》んでいて、その先の方が花粉を受ける長い柱頭となっている。グミの花はよい香気を放ち虫ヨ来い来いと声なしに呼んで招いている。そうするとどこからともなくこの花香に誘ない寄せられて果たして昆虫が飛んで来るが、それへの御馳走は前記の通り蜜槽から出る甘い蜜液である。すなわちこれあるがために昆虫が来るのだ。そこで昆虫学者に尋ねたいのはこの花に来る昆虫の名であるが、今果たしてその調査が出来ているのかどうか、覚束ない気がする。
花がすむとその筒をなせる萼の方は凋むが下の花托の方は生き残り、この残った花托が日を経て次第に大きさを増すのだが、また同時に段々とその外部が肉ぼったくなり、初めは緑色なのがついには熟して赤色多汁となり食用に供せられる。しかしその内壁は硬変して緊密にその内部の果実を包擁している。グミの実を食うとき、核《タネ》(すなわちサネ)の如く残される部が右花托の硬変部でそれは種子の皮部であるかと疑われる。そして果実も種子も共に右花托硬変部の内部に閉在している。ゆえにグミの実は花托と果実と種子とより成っているのである。
右の多汁甘味の熟実は、これを鳥類の御馳走に供して食って貰い、前日花粉を媒介し実の生るようにしてくれた恩返しを今実行しているのである。すなわち実さえ出来ればグミ家の我が子孫が継げるので、その生存にとってはこの実の出来るのはじつに重大事件である。
その甘い実を食って御馳走にあずかった鳥は、その花托壁に包まれた果実種子を糞と共にヒリ出して地に落し、そこにグミの仔苗が生えるのである。私の庭にナツグミとアキグミとの二つが偶然に生えたが、これは全く鳥のお蔭である。今にその樹が生長して実が生りだすと鳥君に対して有難うと御礼を言上せねばならないことになる。今また私の庭に二本のヤマブドウが生長しつつあるが、これも鳥君がどこかの深山からその種子を腹中へ入れて遠くここまで空中輸送をなし、我庭へ放下したものである。多分二、三年のうちには花が咲いて実が生るかもしれんと楽しんでいる。
グミの樹の体上には枝でも葉でも花でも実でも、すべてに放射紋の鱗甲がこれを被覆して特徴を呈しており、この鱗甲は顕微鏡下での奇観である。
グミの名は国によりグイミと呼ばれる。グイミは杭実《クイミ》、すなわち換言すれば刺《とげ》の実《み》の意である。すなわち刺枝ある樹になるのでグイミ、それが略されてグミとなったのである。グミの主品はナワシログミで胡頽子の漢名を有し、その樹には刺枝があってガラガラとしている。そして日本にある最も普通な種はナワシログミ、ナツグミ、アキグミ、ツルグミ、マルバグミである。これに常緑品と落葉品とがあるが、常緑品は秋に花が咲いてその翌年に実が熟し、落葉品は初夏に花が咲いてその年の夏あるいは秋にその実が熟する。
三波丁子
三波丁子《サンハチョウジ》、今日では絶えて耳にしない妙な草の名である。宝永六年(1709)に発行になった貝原益軒《かいばらえきけん》の『大和本草《やまとほんぞう》』巻之七に蛮種としてこの名の植物が出で「三月下[#レ]種[#(ヲ)]苗生ジテ後魚汁ヲソヽグベシ此種近年異国ヨリ来ル花ハ山吹ニ似テ単葉アリ千葉アリ九月ニ黄花開ケ冬ニイタル可[#レ]愛」と書いてある。そしてその三波の語原は私には解し得ないが、丁子は蓋しその花の総苞の状から来たものではないかと思う。
小野蘭山《おのらんざん》の『大和本草|批正《ひせい》』には「三波丁子 一年立ナリ蛮産ナレドモ今ハ多シセンジュギクト称ス秋月苗高五六尺葉互生紅黄草ノ如ニシテ大ナリ花モコウヲウソウノ如ニシテ大サ一寸半許色紅黄単葉モ千葉モアリ葩《ハナ》長ク蔕ハツハノヘタノ如ク又アザミノ如シ九月頃マデ
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