は非である。
 文化四年(1807)出版の丹波頼理《たんばよりよし》著『本草薬名備考和訓鈔《ほんぞうやくみょうびこうわくんしょう》』にはサワアザミが正しく鶏項草となっているが、文化六年(1809)発行の水谷豊文《みずたにほうぶん》著『物品識名《ぶつひんしきめい》』には鶏頂草となっている。

[#「正名サワアザミ『草木図説』に間違えてマアザミの図となっている」のキャプション付きの図(fig46820_25.png)入る]
[#「正名マアザミ『草木図説』に間違えてサワアザミの図となっている」のキャプション付きの図(fig46820_26.png)入る]

  ムクゲとアサガオ

 ムクゲすなわち木槿をアサガオと呼びはじめたのはそもそもいつ頃であって、そしてなぜまたそういったのであろうか。しかしこの名は正しいとはいえないのみならず、それは確かに間違っているのである。
 一体ムクゲの花は早朝に開き一日咲き通し、やがて晩に凋んで落ちる一日花で、朝から晩まで開き通しである。この点からみても朝顔の名は不穏当なものであるといえる。槿花一朝の栄とはいうけれど、この花は朝ばかりの栄ではなくて終日の栄である。すなわち槿花一日の栄だといわなければその花の実際とは合致しない。かくムクゲの花は前記の通り一日咲き通しで一日顔だから、これを朝顔というのはすこぶる当を得ていない。
 人によっては『万葉集』にある「朝顔は朝露負ひて咲くといへど、暮陰《ゆふかげ》にこそ咲益《さきまさ》りけり」の歌によって、秋の七種《ななくさ》の歌の朝顔をムクゲだと考えたので、それでムクゲに初めてアサガオの名を負わせたのだ。それ以前からムクゲにアサガオの名があった訳ではない。つまり一つの誤認からアサガオの名が現われたのはちょうど蜃気楼のようなもんだ。
 私はここに断案を下してムクゲをアサガオというのは大間違いであると裁決する。不服なれば異議を申し立てよだ。不満があれば控訴でもせよだ。もしも私が敗北したら罰金を出すくらいの雅量はある。もしも金が足りなきゃ七ツ屋へ行き七、八おいて拵える。
 このムクゲは落葉灌木で元来日本の固有産ではないが、今はあまねく人家に花木として栽えられ、また生籬《いけがき》に利用せられ挿木が容易であるからまことに調法である。紀州の熊野川に沿った両岸には長い間、まるで野生になったムクゲがかの名物のプロペラ船で遡り行くとき下り行くとき見られる。人家にあるムクゲの常品は紅紫花一重咲のものだが、なおほかに純白花品、白花紅心品、紅紫八重咲品、白八重咲品等種々な変わり品があるが、こんな異品をひとところに蒐めて作りその花を賞翫しつつ槿花亭の風雅な主人となった人をまだ見たことがない。
 ムクゲは木槿の音転である。なおこれにはモクゲ、モッキ、ハチス、キハチス、キバチ、ボンテンカなどの方言がある。
 蕣の字音はシュンである。世間往々よくこの字をかの花を賞する Pharbitis Nil Choisy[#「Choisy」は斜体] のアサガオだとして用いる人があるが、それはもとより間違いで、この蕣は木槿すなわちムクゲの一名であり、かの『詩経《しきょう》』には「顔如蕣華」とある。面白いのはムクゲの一名として朝開暮落花の漢名のあることである。今これを和名に訳せばアサザキクレオチバナである。また藩籬草《ハンリソウ》の一名もあるが、これはムクゲがよく生籬になっているからである。
 万葉の歌にハネズ(唐棣花)という植物が詠みこまれてある。すなわち『万葉集』巻四の「念はじと曰ひてしものを唐棣花色《はねずいろ》の、変《うつろ》ひやすきわが心かも」、同巻八の「夏まけて咲きたる唐棣花《はねず》久方《ひさかた》の、雨うち降らば移《うつ》ろひなむか」、同巻十一の「山吹《やまぶき》のにほへる妹が唐棣花色《はねずいろ》の、赤裳《あかも》のすがた夢《いめ》に見えつつ」、同巻十二の「唐棣花色《はねずいろ》の移ろひ易き情《こころ》あれば、年をぞ来経《きふ》る言《こと》は絶えずて」などがこれであって、このハネズをニワザクラ(イバラ科)だという歌人もあれば、またそれはニワウメ(イバラ科)だと称える歌人もある。またそれはモンレン(モクレン科)だと異説を唱える歌人もいるが、今はまずニワウメ説が通っているようである。しかしこれをそうして取り極めねばならんなんらの確証は無論そこに何もなく、ただ空想でそういっているに過ぎない。そしてハネズなる名称はとっくに既にこの世から逸し去って今日に存していないのである。ところが或る昔の学者の一人は、それは木槿のムクゲすなわちハチス(アオイ科)だと唱えている。すなわちそれは正しいか否か分らんが、これはハネズの語をムクゲのハチスの語とが似ているので、そんな説を立てているのであろう。またハナズオウ(紫荊)だと主張する人もある。私は今このハネズの実物についてはなんら考えあたるところもないので、まずまずここにその当否を論ずることは見合わせておくよりほか途がない。しかしそのうちさらに考えてなんとかこの問題を解決してみたいとも思っている。
 ムクゲの葉は粘汁質である。私の子供の時分によくこれを小桶の中の水に揉んでその粘汁を水に出し、油屋の真似をして遊んだもんだ。

  ※[#「肄のへん+欠」、第3水準1−86−31]冬とフキ

 昔から我国の学者は山野に多い食用品のフキを千余年の前から永い間中国の※[#「肄のへん+欠」、第3水準1−86−31]冬だと思い違いしていた。ゆえに種々の書物にもフキを※[#「肄のへん+欠」、第3水準1−86−31]冬と書いてある。ところが明治になって初めて※[#「肄のへん+欠」、第3水準1−86−31]冬はフキではないことが分ったが、それでもまだなお今日フキを※[#「肄のへん+欠」、第3水準1−86−31]冬であるとしている人を見受けることがまれではない。殊に俳人などは旧株を墨守して移ることを知らない迂遠を演じて平気でいるのは世の中の進歩を悟らぬものだ。
 フキは僧|昌住《しょうじゅう》の『新撰字鏡《しんせんじきょう》』にはヤマフヽキとあり、深江輔仁《ふかえのすけひと》の『本草和名《ほんぞうわみょう》』にはヤマフヽキ一名オホバとあり、また源順《みなもとのしたごう》の『倭名類聚鈔《わみょうるいじゅしょう》』にはヤマフヽキ、ヤマブキとある。これでみればフキは最初はヤマフヽキといっていたことが分る。すなわちこのヤマフヽキが後にヤマブキとなり、ついに単にフキというようになり今日に及んでいる。そしてフキとはどういう意味なのか分らないようだ。
 フキはキク科に属していて Petasites japonicus Miq[#「Miq」は斜体]. なる学名を有し、我が日本の特産で中国にはないから、したがって中国の名はない。※[#「肄のへん+欠」、第3水準1−86−31]冬は同じくキク科で Tussilago Farfara L[#「L」は斜体]. の学名を有し、これは中国には見られども絶えて我国には産しない。そして一度もその生本が日本に来たことがない。これは盆栽として最も好適なもので、春早くから数|※[#「くさかんむり/亭」、第4水準2−86−48]《てい》を立て各※[#「くさかんむり/亭」、第4水準2−86−48]端にタンポポ様の黄花が日を受けて咲くので、私はこの和名をフキタンポポとしてみた。
 この※[#「肄のへん+欠」、第3水準1−86−31]冬は宿根生で、早くその株から出た花がおわると次いで葉が出る。葉は葉柄を具《そな》え角ばった歯縁ある円い形を呈し、葉裏には白毛を布いている。本品はかつて薬用植物の一つに算えられ、欧州には普通に産する。そして西洋では多くの俗名を有すること次の如くである。すなわち Colts−foot(仔馬ノ足)Cough wort(咳止メ草)Horse−foot(馬ノ足)Horse hoof(馬ノ蹄)Dove−dock(鳩ノぎしぎし)Sow−foot(牝豚ノ足)Colt−herb(仔馬草)Hoof Cleats(蹄ノ楔)Ass's foot(驢馬ノ足)Bull's foot(牡牛ノ足)Foal−foot(仔馬ノ足)Ginger(生姜グサ)Clay−weed(埴草《ハニクサ》)Butter bur(バタ牛蒡)Dummy−weed(贋物草)である。
 ※[#「肄のへん+欠」、第3水準1−86−31]冬は早春に雪がまだ残っているうちに早くもその氷雪を凌いで花が出る。「※[#「肄のへん+欠」、第3水準1−86−31]ハ至ルナリ、冬ニ至テ花サクユエ※[#「肄のへん+欠」、第3水準1−86−31]冬ト云ウ」と中国の学者はいっている。※[#「肄のへん+欠」、第3水準1−86−31]冬にはなお※[#「肄のへん+欠」、第3水準1−86−31]凍、顆冬、鑚冬などの別名がある。
 日本のフキを蕗と書くのもまた間違っている。フキには漢名はないから仮名でフキと書くよりほか途はない。フキでよろしい。これがすなわち日本の名なのである。

  薯蕷とヤマノイモ

 昔から薯蕷《ショヨ》をヤマノイモ(Dioscorea japonica Thunb[#「Thunb」は斜体].)にあてて用いているのは大変な間違いであるにもかかわらず、世人はこれを悟らずに今日でもヤマノイモに薯蕷の字を使っているのはもってのほかの曲事《くせごと》である。また山薬をヤマノイモとしているのも同様全くの間違いである。元来山薬とは薯蕷の一名であるから薯蕷がヤマノイモでない限り、山薬もまたヤマノイモたり得ない理屈だ。そしてこの山薬が薯蕷の代名となったのには一つのイキサツがあるのだが、その訳は別項「ナガイモとヤマノイモ」の条下に記してある。
 我邦従来の習慣を破って薯蕷がヤマノイモではないことを絶叫したのは私であって、以前その委曲を発表したのは昭和二年で、その年の十二月に発行せられた『植物研究雑誌』第四巻第六号の誌上においてであった。題は「やまのいもハ薯蕷デモ山薬デモナイ」であって詳しく、その事由《じゆう》を図入りで説明しておいた(『牧野植物学全集』第六巻に転載)。ではその薯蕷とはなにものか、それはナガイモ(Dioscorea Batatas Decne[#「Decne」は斜体].)だ。
 このナガイモにはその根に種々な変わり品があって圃につくられている。ヤマトイモ、キネイモ、イチョウイモ、テコイモ、ツクネイモ、トロイモなどがそれである。そしてこのナガイモは中国の産ではあるが、また、我国の産でもあって、我国での野生品は往々河畔の地などにこれが見られる。面白いことは、圃につくられているものはみな雌本で雄本は絶えてないことである。これから推してみると、この作物になっているナガイモはもとあるいは中国からその雌本が移入せられたのかも知れない。しかしこの種の本邦野生のものには雌本もあれば雄本もある。
 トロロにするにはヤマノイモ(一名ジネンジョウ)の方がまさっている。ナガイモの方には粘力が比較的少なくて劣っている。そしてこのように生のまま食う根は他にはない。クログワイ、オオクログワイは生でも食えるけれど、これはじつは塊茎で真の根ではない。サツマイモは真の根だけれど、それは子供等がいたずらにかじっているくらいで、一般には誰も生ま薯を賞味することはない。
 ヤマノイモが鰻になるとはもちろんじつはウソの皮だが、鰻もヤマノイモも共に精力を増す滋養満点の物だから、その両方の一致した滋養能力から考えて、このように名言を作っていったのではなかろうか。書物によると、ヤマノイモの根が山岸のところで露われ出て、水の流れへ浸り込むと、それがたちまち化して鰻になるとまことしやかに書かれている。
 ヤマノイモもナガイモも共に蔓上葉腋にいわゆるムカゴ一名ヌカゴすなわち零余子ができる。今これを採り集めて植えると幾らでも新仔苗がはえて繁殖する。またムカゴは無論食用にもなる。
 前記のようにナガイモには薯蕷の漢名があるが、ヤマノイモにはそれがない。
 Yam という字が
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