は、営与※[#「螢」の「虫」に代えて「火」、第3水準1−87−61]通、※[#「螢」の「虫」に代えて「火」、第3水準1−87−61]惑星名亦作営[#「※[#「螢」の「虫」に代えて「火」、第3水準1−87−61]惑星名亦作営」に傍点]とありました、それで※[#「螢」の「虫」に代えて「火」、第3水準1−87−61]星と営星とは同じもので何れも火星のことだとわかりました、猶お漢和大辞典(小柳司気多)の惑のところに熟字の例として※[#「螢」の「虫」に代えて「火」、第3水準1−87−61]星、営惑[#「営惑」に傍点]というのがあがっています。
以上のものだけでも私の想像した営星は紅い星だろう、紅いのは火星だろうから営星とは火星のことだろうということが中ったような気がしたします。「営即営星は※[#「螢」の「虫」に代えて「火」、第3水準1−87−61]惑即火星なり」としてはいかがでしょう
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これはまことに啓蒙の文であるのみならず、あまつさえ同君快諾の下にこの拙著のページを飾り得たことを欣幸とする次第だ。
マコモの中でもアヤメ咲く
ふるくから人口に膾炙した俚謡に「潮来出島《いたこでじま》の真菰《まこも》の中であやめ咲くとはしほらしや」というのがある。今この原謡を『潮来図誌』で見ると、その末句の方が「あやめ咲くとはつゆしらず」となっている。
私は先きにこの謡を科学的に批評してみた。すなわちそれは昭和八年(1933)十一月に、東京の春陽堂で発行した『本草』第十六号の誌上であった。
全体アヤメにはじつは昔のと今のとの二つの植物があるので、この謡のアヤメがぐらついているところを探偵し、目を光らかした私の筆先きにチョッと来いと捕えられて、初の法廷でその黒白が裁判せられた。その判決によると、この謡は無罪とは行かなかった。しかしこれまで久しい年月の間これを摘発してその欠点を暴露せしめた人はなかったが、それの初任の裁判官は私であった。
この謡の中にあるアヤメは元来何を指しているのかというと、それはこれまで皆の衆が思っているようにアヤメ科なる Iris 属[#「属」に「ママ」の注記]のアヤメ(従来日本の学者はこのアヤメを渓※[#「くさかんむり/孫」、第3水準1−91−17]《ケイソン》だとしているがそれはもとより誤りだ)を指したもんだ。そしてじつはこの美花を開くアヤメでなければ「しほらしや」が利かない。しかしそうするとこのアヤメが果たして真菰の中に生えていてもよいものかどうかの問題となるが、アヤメは元来乾地生で実際水中には生えないから、この点でこの謡は落第する。もしこのアヤメを昔のアヤメ、よく和歌に詠みこまれているアヤメグサ、すなわち今のショウブ(白菖蒲、一名水菖蒲、一名泥菖蒲)とすれば、これは水生植物であるから、マコモにまじって生えていたとてなんら差し支えはないのだが、困ることにはその花はけっして「しほらしや」と謡うことが出来なく、恐ろしく陰気でグロ(grotesque)であるのである。アチラ立つればコチラが立たず両方立つれば身が立たずの俗謡のようなジレンマに陥る。がしかしこのさいはそんな理屈ばった科学的な解釈をよけ、むつかしい見方をせずに、マコモの中でしほらしくアヤメ(Iris 属[#「属」に「ママ」の注記])の花が咲いているとこれまで通り通俗に解し裁判も執行猶予にしておけば、野暮にもならず物騒にもならずにすんで、やはりこの俚謡は情趣的によいことになる。「あんまりにアラを捜せば無風流」。
潮来《いたこ》町(昔は潮来《いたこ》を板子《いたこ》と書いた)は常陸|行方《なめかた》郡の水郷で、霞ヶ浦からの水の通路北利根川にのぞみ、南は浪逆《なさか》浦を咫尺《しせき》の間に見る地である。昔は遊郭妓樓の艶めかしい三弦の音を聞きかつ聴きして、白粉の香にむせぶ雰囲気中に遊蕩する粋な別天地であったが、星移り物換った今日ではもはや往きし昔の面影もなく、ただゆかしい名を永く後の世に留めているにすぎない。その時分に婀娜《あだ》な妓の可愛らしい朱唇から宛転たる鶯の声のようにほとばしり出て、遊野郎や、風流客を悩殺せしめた数ある謡の中には次のようなものがあった。
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君は三夜《さんよ》の三日月さまよ、宵にちらりと見たばかり
恋にこがれて鳴く蝉よりも、鳴かぬ螢が身を焦がす
恋の痴話文《ちわぶみ》鼠に引かれ、鼠捕るよな猫欲しや
染めて悔しい藍紫も、元との白ら地がわしや恋ひし
日暮れがたにはたゞ茫然《ぼんやり》と、空を眺めて涙ぐむ
行くも帰るも忍ぶの乱だれ、限り知られぬ我が思ひ
余り辛さに出て山見れば、雲の懸からぬ山はない
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はじめに出した「潮来出島の真菰の中であやめ咲くとはしほらしや」の中にある出島《でじま》は直ぐ潮来町の真向いに見える小さい州の島で、蘆《よし》や真菰が生えていた。
[#「今日のアヤメ、昔のハナアヤメ(陸地に生えていて水にはない)」のキャプション付きの図(fig46820_22.png)入る]
[#「今日のショウブ、昔のアヤメ(水に生えていて陸地にはない)」のキャプション付きの図(fig46820_23.png)入る]
マクワウリの記
マクワウリは真桑瓜と書く。この真桑瓜は美濃本巣郡真桑村の名産で、昔からその名が高く、それでこの瓜をマクワウリと呼ぶようになって今日に及んでいる。またこの瓜は無論諸国につくられるので多少品変わりのものも出来て、中に谷川ウリ、ボンデンウリ(タマゴウリ)、田村ウリ、ヒメウリ、ネズミウリ、アミメマクワ(新称、瓜長楕円形緑色の皮に密に網目がある)などがある。またギンマクワウリすなわちギンマクワというものもあれば、またキンマクワウリと呼ぶものもある。
この時分すなわち徳川時代から明治初年へかけた頃における普通常品のマクワウリはここに掲げた図にあるように枕形をした楕円形のもので、長さ四寸ないし六、七寸内外、径三寸ばかりもあり、初めは緑色であるが熟すると黄色を帯び皮は厚かった。昔は単にウリと称えまたホソジともいった。またアマウリともアジウリとも呼んだ。また土佐ではマウリといっていたが、それはマクワウリの略せられたものである。そしてマクワウリの学名は Cucumis Melo L[#「L」は斜体]. var. Makuwa Makino[#「Makino」は斜体] である。
前に書いた古名のホソチは蔕落《ほぞおち》の意で、このマクワウリは満熟すると蔕を離れ自然に落ちるからいうとのことである。マクワウリ、アマウリ、アジウリなどは無論右ホソチの古名よりは後ちの名称である。
マクワウリの漢名は甜瓜《カンカ》である。すなわちこれはその味が特に他の瓜より甘いからである。甜は甘いことである。ゆえにまた甘瓜の一名がある。『本草綱目』に「瓜ノ類同ジカラズ、其用ニ二アリ、果ニ供スル者ヲ果瓜ト為ス、甜瓜、西瓜是レナリ、菜ニ供スル者ヲ菜瓜ト為ス、胡瓜、越瓜是レナリ」(漢文)と書いてある。瓜は植物学上果実の分類では漿果(Berry)であるが、しかしそれは下位子房からなった漿果で、その中身はもちろん子房からのものであるが、その周りの肉は主として花托からのものである。そしてスイカ、マクワウリは子房からの中身を食し、ボウブラ、カボチャ、シロウリ、ツケウリは主に花托からなった部分を食し、キュウリは通常その両部分を食している。
シロウリ(越瓜)、ツケウリはみなマクワウリの変種である。これらは親に似ず甜くないから、菜果の方へ回されている。ここに面白いことはこのシロウリの学名を初め Cucumis Conomon Thunb[#「Thunb」は斜体]. といった。この種名の Conomon すなわちコノモンは香ノ物であるが、これは命名者ツューンベリが奈良漬けを香ノ物と思ってそう書いたものだ。今この学名は Cucumis Melo L[#「L」は斜体]. var. Conomon Makino[#「Makino」は斜体] と改称せられている。そしてこのシロウリは俗に Oriental Pickling Melon と呼ばれる。
ナシウリ(すなわち梨瓜の意)というものがある。これもマクワウリの変種で Cucumis Melo L[#「L」は斜体]. var. albidus Makino[#「Makino」は斜体] の学名を有する。また市場に出ているいわゆるメロンもまた同じく Cucumis Melo L[#「L」は斜体]. の変種である。その果皮すなわち膚に網の眼のあるものを網メロン、または網ノ眼メロン、または肉豆※[#「くさかんむり/「寇」の「攴」に代えて「攵」」、第3水準1−91−20]《ニクズク》メロンと称し、その学名は Cucumis Melo L[#「L」は斜体]. var. reticulatus Naud[#「Naud」は斜体]. で、俗に Netted Melon あるいは Nutmeg Melon と呼ばれる。俗に単にメロンといえばじつは Cucumis Melon L[#「L」は斜体]. に属するもろもろの瓜の総称でマクワウリ、シロウリ、ツケウリ、ヒメウリ、タマゴウリ、シナウリ、キンウリなどみなメロンである。
「駒の渡りの瓜作り、瓜を人にとられじと、守る夜あまたになりぬれば、瓜を枕につい寝たり」という今様歌がある、瓜を枕に野天の瓜畑で寝た風流はまことに羨ましい。
[#「マクワウリ 甜瓜(Cucumis Melo L[#「L」は斜体]. var. Makuwa Makino[#「Makino」は斜体])『日本産物志』美濃部より模写」のキャプション付きの図(fig46820_24.png)入る]
新称天蓋瓜
昭和二十一年八月十八日友人石井勇義君来訪、一の珍瓜を恵まれた。その瓜は円いものを横に半分に截った形で、まことに座りがよく、つまり瓜の先きの半分がなくその底面が広く浅くなってその縁が低く土堤状を呈して高まっており、底の中央に大きな円形の花※[#「足へん+付」、第3水準1−92−35]の痕があって浅く擂鉢状をなしている。瓜の形は長さより横幅が広く、底の縁は低い十鈍耳をなしている。瓜の色は鮮かな黄色で大小不斉な緑色の斑点が疎らに散布せられており、瓜の膚は固くかつ極めて滑沢である。そして瓜の質はかなり実しておって果実は硬く、むしろ粉質様でその味は甘くなく、種子ははなはだ小形である。
この瓜は俗に Yellow Custard Marrow と呼ぶものでもとより食用にはならなく、畢竟お飾り瓜で観て楽しむものである。そしてこれは多分 Cucurbita Pepo L[#「L」は斜体]. 種中の一変種ではないかと思われる。しかしこの最も模範的のものは、冠の縁の分耳がもっと反りくりかえっている。
この瓜の茎は蔓をなさずに叢生してる。葉は割合に大形で深く分裂しその色は鮮緑である。
センジュガンピの語原
ナデシコ科のセンノウ属に深山生宿根草本なるセンジュガンピと呼ぶものがある。草全体が緑色で柔かく、茎は痩せ長く高さおよそ一尺ないし一尺半ばかりもあって直立し、葉は披針形で対生し、梢に疎なる聚繖《しゅうさん》的分枝をなして、欠刻ある五弁の石竹咲白花を着け、花中に十雄蕋と五花柱ある一子房とを具えている。その学名を Lychnis stellarioides Maxim[#「Maxim」は斜体]. と称する。その草質がハコベ属すなわち Stellaria に類しているので、それで「ハコベ属ノ植物ノ様ナ」という意味の種名がつけられたのであるがじつはガンピ属である。
私は鈍臭くてこれまでこれをセンジュガンピというそのセンジュの意味が解せられなかった。ゆえに私の『牧野日本植物図鑑』にも「和名ノせんじゅがんぴハ其意不明ナリ」と書いてある。
昭和二十一年八月十九日に来訪せられた伊藤|隼《はやし》君から、いろいろ話の中で右のセンジュガンピの名の由来をきい
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