e剣の状をなし、多数に叢出して幅がやや広く、その形は披針形で葉末は鋭い刺尖を呈している。そして葉心から太い花軸を立てて大なる花穂を挺出し、六花蓋片の白花を群着する。雄|蕊《づい》の葯と雌蕊の柱頭とは相当相離れていて、どうしても蛾の媒介がなくてはその結実がむずかしい特性をもっている。すなわちこの属はこの点のため世界で著名なものとなっている。
 この男ランが今、日本国会議事堂の前庭に列をなして沢山に栽っていてすこぶる勇壮な装飾となっている。すなわちこれが偶然にも国会の庭前に列植せられているのが幸いで、私はこれは議員諸君が熱意をもって国政を議するとき、我が日本のために男らしく尽すという表徴植物たらしめたいと思っている。私はこの男ランの名を無意義に了らしめぬように議員諸君に懇願してやまない。そして議員諸君が登院のさいには、是非とも右の意味で必ず燃ゆる心の一暼をこの男ランの上に注がれんことを切望する。
 ここに別に君ヶ代蘭(私の命名)という同属の一種があって、植物園にはもとより、今諸処の人家の庭にも見られるのが、この種の葉は上の男ランとは違い、その葉叢生していて狭長厚質な緑葉が四方に垂れている。ずっと以前に小石川植物園ではこの品を Yucca gloriosa L[#「L」は斜体]. だと思っていた。その時分に本品に対して君ヶ代ランの和名(私の命名)が出来た。しかるにこれはじつは Yucca gloriosa L[#「L」は斜体]. ではなくて Yucca recurvifolia Salisb[#「Salisb」は斜体].(=Yucca gloriosa[#「Yucca gloriosa」は斜体] L. var[#「var」は斜体]. recurvifolia[#「recurvifolia」は斜体] Engelm.)の学名のものであることが後に判った。そしてこれもまた北米フロリダ州の原産である。しかしその和名はそのままにしておいた。
 ついでに日本へ来ている Yucca 属[#「属」に「ママ」の注記]には普通の場合次の二種がある。すなわち一つは無茎種で俗に Adam's Needle(アダムの鍼)と呼ばれる Yucca filamentosa L[#「L」は斜体]. で、その葉縁には白い糸があるから直ぐに見別けがつく。そしてこれをイトランと称する。今一つは顕著なる有茎種で高く立ち、剣状の硬質葉が多数に茎の周囲に密生している。この種は渡来している他の品種とは違って往々長楕円形の肉果が生るのだが、それは何んという国産の蛾が媒介する結果なのか、まだ誰も親しく実験した我が学者の名を聞いたことがない。本種の学名は Yucca aloifolia L[#「L」は斜体]. で Spanish Bayonet(イスパニア人の銃剣)なる俗名がある。そしてその和名をチモランと称しているが、このチモランはじつはイトランの方の名で、元来は千毛蘭と書いてある。これは葉緑の鬚毛に基づきそう書いたものをチモウランと訓まずにチモと訓み、後に間違えられて Yucca aloifolia L[#「L」は斜体]. の名になったのであるが、今日の学者にはこんなイキサツのあることは恐らく誰も知るまいから、今ここにそれを明かにしておく義務が私にはある。明治十五、六年頃に土佐高知の多識学者今井貞吉君がこれを千枚蘭《センマイラン》と名づけていたが、私はこれはよい名だと思った。同君のいうには、塀の内部へこれを列植すれば剣のような多くの葉がむらがり刺すのだから、暗夜に塀を越えて侵入し来る盗賊を防ぐにはまことに良策であると話していた。
 盗賊を防ぐので思い出したのは、ジャケツイバラを塀の背に這わすことだ。これは最も有効な植物利用の防盗策であると信ずる。あの逆に曲がっている無数の鉤刺は強く固く、この鋭い鉤刺には何物も敵し難く煩わしくよく引っかかりけっして脱することが出来ない。そして冬月その葉の小葉は落ち去ってもなお鉤刺を甲《よろ》うその主軸ならびに枝軸には依然としてその鉤刺が残り、その刺体は確かと茎に固着して脱去しない。ゆえに四季を通じていつも有効である。そしてこの植物にはかく刺はあるが、その再羽状複葉はその姿その色まことに眼に爽かであるばかりではなく、さらに大きな花穂を葉間に直立させて黄花を総状花序に綴るの状また大いに観るに足り、塀上の風趣|転《うた》た掬すべきものがある。私は先年伊勢宇治の町で偶然珍らしくこの有様を見、その家主人の風流と慧眼とに感服したことがあった。

  風流で盗賊防ぐ思い付き

 上に記した土佐高知の今井貞吉君は今は疾くに故人となったが、同君は多識なうえにすこぶる器用でかつ多趣味な人で、よくいろいろのことに通じていた。その中でも特に古銭に精しく斯界での大家であった。『古泉大全』と題する大著があって、その書中の古銭図は、もし間違いがあっては正鵠を失するといって、みな自身で手を下して丁寧正確に彫刻し、その書の印刷もまた活版印刷機を室内に用意し、下女などに手伝わせて自家の座敷、畳の上で印刷したものである。後ち東京の守田宝丹(下谷池ノ端、宝丹本舗の主人)が編した古泉の著書にも大分今井君がその面倒をみたものであった。同君はまた日本全国郵便局の消印ある二銭の郵便切手(赤色)を集めていた。中にはすでに廃局になった郵便局の消印あるものまでもみな洩らさずにことごとく集めていた。これは先ず類をみないなかなか凝った趣味的蒐集である。
 私はよく高知付近の植物産地を同君からきいたことがあって、今もそれを書き付けたものが手許に残っている。
 その時分同君の庭に龍眼樹の盆栽があって、その実を着けた写真が、これも同君からもらって今も所蔵している。これが土佐高知で実を結んだのは珍らしいことであるが、冬はキット窖《あなぐら》へ入れて保護してあったのであろう。同家の庭は広くて水石の景致に富んでいた。その植え込みの中に大きなハマユウがあったことを今も記憶している。同君の邸は高知|本町《ほんまち》の南側にあって、店ではその息子さんが時計などを商なっていた。

  中国の椿の字、日本の椿の字

 世間ではよく中国の椿の字と、日本での椿の字とを混同していて明瞭を欠いている場合が少なくない。つまりその椿の字を二つに使い別けすべき根本知識が欠けているから、そんなアヤフヤしたことになるのである。
 ツバキによく椿の字が書いてあるのは誰でも知っているが、この場合はけっして中国の椿ではない。ゆえにこの中国の椿と日本のツバキの椿とが同字であると思ったら、それは大きな見当違いである。これはたとえその字体は全く同じでも、もとより同字ではないからである。
 中国の椿の場合はその字音は普通チン(丑倫切)で、その植物はかのいわゆるチャンチンを指している。が、椿の字が一朝ツバキとなると、けっしてチンではないのである。そしてこのツバキの場合は和字、すなわち和製(日本製)の文字でそれをツバキと訓ませたものである。それはツバキは春盛んに花が咲くので、それで木扁に春を書いた椿の字を古人がつくったもんだ。寺島良安《てらじまりょうあん》の『倭漢三才図会《わかんさんさいずえ》』にも椿を倭字(日本字)だと書いてある。ゆえにこの椿はツバキと訓むよりほかにいいようはない。そしてこれはもとより字音はないはずだが、強いてこれを字音で訓みたければそれをシュンというよりほか訓みようはない。たとえその字面は中国の椿そっくりであっても、それはけっしてチンではない。ゆえにツバキのことを書いてある書物の『百椿図』とか『椿花集』とかは、これをヒャクシュンズまたはシュンカシュウいうのが本当で、今までのようにそれをヒャクチンズとかチンカシュウとか呼ぶのは全く間違いである訳だ。古来どんな人でも一向にこの点に気がつかず、その間違いを説破した者が一人もないとはどうしたもんだ、オカシナ話である。
 ハギとしてある萩の字も和製字で、これは秋に盛んに花がひらくので、それで艸冠りに秋の字を書いた訳で、中国にある本来の萩の字ではない。この中国の萩は蒿(ヨモギの類)であると字典にあってハギとは何の関係もない。すなわちこれは神前に供えるからサカキに対しての榊をつくったのと同筆法である。

  ノイバラの実、営実

 ノイバラ(Rosa multiflora Thunb[#「Thunb」は斜体].)の実は小形で小枝端に簇集して着いていて、秋に赤熟する。採ってこれを薬用とするがその名を営実《エイジツ》といわれている。梁の陶弘景《とうこうけい》という学者は「営実[#(ハ)]即[#(チ)]薔薇[#(ノ)]子也」といっている。
 明の時代の学者である李時珍《りじちん》は、その著『本草綱目《ほんぞうこうもく》』巻之十八、蔓草類なる墻※[#「くさかんむり/靡」の「非」に代えて「緋−糸」、第4水準2−87−21]《ショウビ》(薔薇)すなわちノイバラの「釈名」の項で時珍のいうには、「其子成[#(シテ)][#レ]簇[#(ヲ)]而生[#(ジ)]如[#(ク)][#二]営星[#(ノ)][#一]然[#(リ)]故[#(ニ)]謂[#(フ)][#二]之[#(ヲ)]営実[#(ト)][#一]」とある。そうするとこのノイバラの実が簇成していてそれが営星のようだから、それでその実を営実というのだとの意味である。なおこの実については時珍はその集解《しっかい》中で「結[#(ビ)][#レ]子[#(ヲ)]成[#(ス)][#レ]簇[#(ヲ)]生[#(ハ)]青[#(ク)]熟[#(ハ)]紅[#(シ)]」と書いている。
 私はこの営星という星が解らなかったので、先きにこれを斬界の権威|野尻抱影《のじりほうえい》先生にお尋ねしたことがあって、同先生から丁寧な御返書を頂戴したが、今ここにはそれを省略する。
 頃日友人の理学士(東大理学部、植物学出身)恩田経介君から次の書信を落手し、この営星について同君の披瀝せる見解を知ることが出来たので、ここに君の書信(昭和二十一年八月二十一日発信)の全文を披露し紹介する。

[#ここから3字下げ]
先頃参上いたしました節、ノイバラの実を営実というが、営実とは星の名から由来したものだが、営星とは、何星にあたるか、分らないとのお話を承りました、それを想い出して只今本草綱目を見ましたら
………如営星故謂之営実
とあり、営星の如くとあるから営星は紅色の星だろうと想像し、紅い星は火星[#「火星」に傍点]だろうと見当をつけ、火星は支那では何というかと調べて見ましたところ、※[#「螢」の「虫」に代えて「火」、第3水準1−87−61]惑(ケイコク、よくケイワ[#「ワ」に傍点]クと誤読するものと言海にも国語大字典にもあります)[牧野いう、惑は元来漢音がコク、呉音がヲクで同音の或という字と同じくもとよりワクという字音はないのだが、我国昔からの習慣音としてこれをワクといっている。ゆえに迷惑、惑溺、惑乱、惑星は実はメイコク、コクデキ、コクラン、コクセイが本当だけれど、今これをメイワク、ワクデキ、ワクラン、ワクセイといわないと世間に通じない。また或問もワクモンとしないとコクモンでは同様通じない。またクキの茎には本来ケイという字音はなく、漢音はカウ、呉音はギヤウだけれど、今世間では日本在来の習慣に従って通常ケイと呼んでいる始末だ]というのだとあります。支那の学生辞典にも「※[#「螢」の「虫」に代えて「火」、第3水準1−87−61]惑《けいわく》行星名即火星也」とあり、日本の模範英和辞典にも Mars の訳に※[#「螢」の「虫」に代えて「火」、第3水準1−87−61]惑、火星とあります。それで※[#「螢」の「虫」に代えて「火」、第3水準1−87−61]の字を康熙字典《こうきじてん》で見ますと※[#「螢」の「虫」に代えて「火」、第3水準1−87−61]のところに、※[#「螢」の「虫」に代えて「火」、第3水準1−87−61]惑、星名………察剛気以処、※[#「螢」の「虫」に代えて「火」、第3水準1−87−61]惑亦作営とあり、営のところに
前へ 次へ
全37ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 富太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング